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そのひとは指を一本あげてしずかにそれをおろしました。
するといきなりジョバンニは自分というものが、自分の考えというものが、汽車やその学者や天の川や、みんないっしょにぽかっと光って、しいんとなくなって、ぽかっとともってまたなくなって、そしてその一つがぽかっとともると、あらゆる広い世界ががらんとひらけ、あらゆる歴史がそなわり、すっと消えると、もうがらんとした、ただもうそれっきりになってしまうのを見ました。だんだんそれが早くなって、まもなくすっかりもとのとおりになりました。
-----------------------------
この箇所は、「春と修羅 序」を思い起こさせる。
この詩をまた別の言葉で表しているかのようだ。
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつのい照明です
(あらゆる透明な幽靈の複合體)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつのい照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
自分という存在が、他の全てといっしょに光っては消え、また光っては消え、それらすべてを包む大いなる時空もまたそのように光っては消え....
何度読んでもこれはもう、何か感想を述べようとすることもいらない、ただただそうあるとおりにあって、---すっと消えると、もうがらんとした、ただもうそれっきり---を感じるしかない。
2025年12月06日
ブルカニロ博士・5
posted by Sachiko at 16:06
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| 宮澤賢治
2025年11月22日
ブルカニロ博士・4
-----------------------------
いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこのページはね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん、紀元前二千二百年のことでないよ。紀元前二千二百年のころにみんなが考えていた地理と歴史というものが書いてある。
だからこの本のページ一つが一冊の地理の本にあたるんだ。いいかい。そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいていほんとうだ。さがすと証拠もぞくぞくと出ている。けれどもそれが少しどうかなとこう考えだしてごらん、そら、それは次のページだよ。
-----------------------------
ここに書かれていることを、紀元2025年と置き換えてみよう。
2025年のことではなく、2025年にみんなが考えていること、だ。
それらは2025年ころには大抵ほんとうらしく、最新の科学で証明された!という証拠を示すこともできるだろう。
こうして現在正しいと言われていることも遠からず別の考えに取って代わられ、歴史を俯瞰して見ると、悠久の変化の中の今なのだと知る。
-----------------------------
紀元一千年。だいぶ、地理も歴史も変わってるだろう。このときにはこうなのだと変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょにすこしこころもちをしずかにしてごらん。いいか。」
-----------------------------
その大きな本にはきっと、遠い過去だけでなく、遥か未来のことまでも書かれているような気がする。宇宙全体の時空を見渡す目によって。
いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこのページはね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん、紀元前二千二百年のことでないよ。紀元前二千二百年のころにみんなが考えていた地理と歴史というものが書いてある。
だからこの本のページ一つが一冊の地理の本にあたるんだ。いいかい。そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいていほんとうだ。さがすと証拠もぞくぞくと出ている。けれどもそれが少しどうかなとこう考えだしてごらん、そら、それは次のページだよ。
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ここに書かれていることを、紀元2025年と置き換えてみよう。
2025年のことではなく、2025年にみんなが考えていること、だ。
それらは2025年ころには大抵ほんとうらしく、最新の科学で証明された!という証拠を示すこともできるだろう。
こうして現在正しいと言われていることも遠からず別の考えに取って代わられ、歴史を俯瞰して見ると、悠久の変化の中の今なのだと知る。
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紀元一千年。だいぶ、地理も歴史も変わってるだろう。このときにはこうなのだと変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょにすこしこころもちをしずかにしてごらん。いいか。」
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その大きな本にはきっと、遠い過去だけでなく、遥か未来のことまでも書かれているような気がする。宇宙全体の時空を見渡す目によって。
posted by Sachiko at 21:41
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| 宮澤賢治
2025年11月16日
ブルカニロ博士・3
-------------------------------
「おまえはおまえの切符をしっかり持っておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまえは化学をならったろう。水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはたれだってそれを疑やしない。実験してみるとほんとうにそうなんだから。
けれども昔はそれを水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったりいろいろ議論したのだ。
みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう。けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。」
-----------------------------
何も存在しないと言われている真空の宇宙空間は、古い時代には精妙なエーテルというものに満たされていると信じられていた。
このエーテル空間説は、今また一部でひそかに見直されているらしい。
どの神さまがほんとうだとか異教だとか、心がいいとかわるいとか、こういう議論も今なお終わらない。
お互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれる...歴史の中でここに至るには、幾つもの時代を超える必要があっただろうか。
-----------------------------
「けれども、もしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学とおなじようになる。」
-----------------------------
その実験の方法とは何だろう。実験というと何だか無機的に聞こえるけれど、信仰も化学も同じようになる領域に立つのは、宇宙空間から地球全体を見るような感覚だろうか。
そこから見れば昼と夜、夏と冬は分かれていない、海と陸は分かれていない。
そして生と死も分かれていないのなら、銀河鉄道の旅は、この世界を超えた「ほんとうの幸福」を探して静かなエーテル空間を行く旅のようだ。
「おまえはおまえの切符をしっかり持っておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまえは化学をならったろう。水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはたれだってそれを疑やしない。実験してみるとほんとうにそうなんだから。
けれども昔はそれを水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったりいろいろ議論したのだ。
みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう。けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。」
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何も存在しないと言われている真空の宇宙空間は、古い時代には精妙なエーテルというものに満たされていると信じられていた。
このエーテル空間説は、今また一部でひそかに見直されているらしい。
どの神さまがほんとうだとか異教だとか、心がいいとかわるいとか、こういう議論も今なお終わらない。
お互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれる...歴史の中でここに至るには、幾つもの時代を超える必要があっただろうか。
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「けれども、もしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学とおなじようになる。」
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その実験の方法とは何だろう。実験というと何だか無機的に聞こえるけれど、信仰も化学も同じようになる領域に立つのは、宇宙空間から地球全体を見るような感覚だろうか。
そこから見れば昼と夜、夏と冬は分かれていない、海と陸は分かれていない。
そして生と死も分かれていないのなら、銀河鉄道の旅は、この世界を超えた「ほんとうの幸福」を探して静かなエーテル空間を行く旅のようだ。
posted by Sachiko at 22:43
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| 宮澤賢治
2025年10月29日
ブルカニロ博士・2
-------------------------------
「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐ行こうと言ったんです。」
「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまえが会うどんなひとでも、みんななんべんもおまえといっしょにりんごをたべたり汽車に乗ったりしたのだ。
だからやっぱりおまえはさっき考えたように、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなといっしょに早くそこに行くがいい。そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。」
-------------------------------
みんなのほんとうの幸福はなんだろう、とジョバンニは思い、それをさがしにどこまでもいっしょに行こうと言ったカムパネルラはいなくなってしまった。
そこに現れた不思議な大人が語る言葉は、この世の時空も生も死も超えたところのことを話しているようだ。
-------------------------------
「ああ、ぼくはきっとそうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいいでしょう。」
「ああわたくしもそれをもとめている。おまえはおまえの切符をしっかり持っておいで。
-------------------------------
汽車の中で車掌が切符を確かめに来たとき、ジョバンニがあわててポケットを探ると緑色の紙が入っていた。
何だかわからないままそれを車掌に渡すと、車掌はそれを承認したようでそのままジョバンニに返してくれた。鳥捕りがそれを見て言った。
「こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ」
天上すらも超越したような不思議な切符。
どうやら「みんなのほんとうの幸福」を求める旅に必要な、大事な切符らしい。
鳥捕りとの話の中でも、ジョバンニはほんとうの幸福のことを考える。
・・・もうこの人のほんとうの幸いになるなら、自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいという気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。
ほんとうにあなたのほしいものはいったいなんですか、と訊こうとして、それではあんまりだしぬけだから、どうしようかと考えて振り返ってみましたら、そこにはもうあの鳥捕りがいませんでした・・・
あなたのほんとうの幸いは何か、ほんとうにほしいものはいったい何か、と訊かれたら、多くの人は何と答えるだろうか。
“ほんとう”の奥の奥の願いに、なかなかたどり着けないかもしれない。
「おまえはおまえの切符をしっかり持っておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。」
そしてこの後に、化学や地理や歴史の話が続いていく.....
「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐ行こうと言ったんです。」
「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまえが会うどんなひとでも、みんななんべんもおまえといっしょにりんごをたべたり汽車に乗ったりしたのだ。
だからやっぱりおまえはさっき考えたように、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなといっしょに早くそこに行くがいい。そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。」
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みんなのほんとうの幸福はなんだろう、とジョバンニは思い、それをさがしにどこまでもいっしょに行こうと言ったカムパネルラはいなくなってしまった。
そこに現れた不思議な大人が語る言葉は、この世の時空も生も死も超えたところのことを話しているようだ。
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「ああ、ぼくはきっとそうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいいでしょう。」
「ああわたくしもそれをもとめている。おまえはおまえの切符をしっかり持っておいで。
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汽車の中で車掌が切符を確かめに来たとき、ジョバンニがあわててポケットを探ると緑色の紙が入っていた。
何だかわからないままそれを車掌に渡すと、車掌はそれを承認したようでそのままジョバンニに返してくれた。鳥捕りがそれを見て言った。
「こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ」
天上すらも超越したような不思議な切符。
どうやら「みんなのほんとうの幸福」を求める旅に必要な、大事な切符らしい。
鳥捕りとの話の中でも、ジョバンニはほんとうの幸福のことを考える。
・・・もうこの人のほんとうの幸いになるなら、自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいという気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。
ほんとうにあなたのほしいものはいったいなんですか、と訊こうとして、それではあんまりだしぬけだから、どうしようかと考えて振り返ってみましたら、そこにはもうあの鳥捕りがいませんでした・・・
あなたのほんとうの幸いは何か、ほんとうにほしいものはいったい何か、と訊かれたら、多くの人は何と答えるだろうか。
“ほんとう”の奥の奥の願いに、なかなかたどり着けないかもしれない。
「おまえはおまえの切符をしっかり持っておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。」
そしてこの後に、化学や地理や歴史の話が続いていく.....
posted by Sachiko at 22:01
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| 宮澤賢治
2025年10月17日
ブルカニロ博士・1
『銀河鉄道の夜』は宮澤賢治本人によって何度か改稿されていて、今出回っている本の多くは第四次稿だ。
ブルカニロ博士は、そのひとつ前の第三次稿にだけ登場する。
私の手元には『銀河鉄道の夜』が収録された本が三冊あり、その中の、高校生の時に買った一番古い本に第三次稿が入っている。
「カムパネルラ、ぼくたちいっしょに行こうねえ。」
ジョバンニがそう言って振り返ると、もうカムパネルラの姿はなく、ジョバンニははげしく泣きだす。
-----------------
もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。
ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。
------------------
第四次稿でこのように書かれている二行のあいだに、古い稿ではブルカニロ博士との対話が入る。
------------------
「おまえはいったい何を泣いているの。ちょっとこっちをごらん。」いままでたびたび聞こえた、あのやさしいセロのような声が、ジョバンニのうしろから聞こえました....
------------------
セロのような声が最初に登場するのは、『銀河ステーション』の章だ。
------------------
「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが言いました。
するとちょうど、それに返事をするように、どこか遠くの遠くのもやのもやの中から、セロのようなごうごうした声が聞こえてきました。
「ここの汽車は、スティームや電気でうごいていない。ただうごくようにきまっているからうごいているのだ。ごとごと音をたてていると、そうおまえたちは思っているけれども、それはいままで音を立てる汽車にばかりなれているためなのだ。」
「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた。」
「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。」
------------------
銀河鉄道は何らかの動力ではなく「ただうごくようにきまっているから」、つまり宇宙の摂理のようなもので動いている。
そしてこのセロのような声を、ジョバンニもカムパネルラも、銀河鉄道に乗るまえに、何度も聞いているらしい。
しかも、林の中や川という少年たちの日常の景色の中で、セロのような声が響いていたという、なんとも不思議な話だ。
その声が、カムパネルラを見失ったあとのジョバンニにまた語りかけてくる。
------------------
さっきまでカムパネルラがすわっていた席に黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせたおとなが、やさしくわらって大きな一冊の本をもっていました。
「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
------------------
今度は声だけでなく、姿かたちのある人物が現われる。
その人はジョバンニのこともカムパネルラのこともよく知っているようなのだ。
このあと、その人はほんとうの幸福について、そして長い時を超えた地理や歴史について語り始める。
それは地球の時空を上から眺めているかのような深い印象を受ける話なのだけれど、この部分についてはまた次回に。
ブルカニロ博士は、そのひとつ前の第三次稿にだけ登場する。
私の手元には『銀河鉄道の夜』が収録された本が三冊あり、その中の、高校生の時に買った一番古い本に第三次稿が入っている。
「カムパネルラ、ぼくたちいっしょに行こうねえ。」
ジョバンニがそう言って振り返ると、もうカムパネルラの姿はなく、ジョバンニははげしく泣きだす。
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もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。
ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。
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第四次稿でこのように書かれている二行のあいだに、古い稿ではブルカニロ博士との対話が入る。
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「おまえはいったい何を泣いているの。ちょっとこっちをごらん。」いままでたびたび聞こえた、あのやさしいセロのような声が、ジョバンニのうしろから聞こえました....
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セロのような声が最初に登場するのは、『銀河ステーション』の章だ。
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「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが言いました。
するとちょうど、それに返事をするように、どこか遠くの遠くのもやのもやの中から、セロのようなごうごうした声が聞こえてきました。
「ここの汽車は、スティームや電気でうごいていない。ただうごくようにきまっているからうごいているのだ。ごとごと音をたてていると、そうおまえたちは思っているけれども、それはいままで音を立てる汽車にばかりなれているためなのだ。」
「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた。」
「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。」
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銀河鉄道は何らかの動力ではなく「ただうごくようにきまっているから」、つまり宇宙の摂理のようなもので動いている。
そしてこのセロのような声を、ジョバンニもカムパネルラも、銀河鉄道に乗るまえに、何度も聞いているらしい。
しかも、林の中や川という少年たちの日常の景色の中で、セロのような声が響いていたという、なんとも不思議な話だ。
その声が、カムパネルラを見失ったあとのジョバンニにまた語りかけてくる。
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さっきまでカムパネルラがすわっていた席に黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせたおとなが、やさしくわらって大きな一冊の本をもっていました。
「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
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今度は声だけでなく、姿かたちのある人物が現われる。
その人はジョバンニのこともカムパネルラのこともよく知っているようなのだ。
このあと、その人はほんとうの幸福について、そして長い時を超えた地理や歴史について語り始める。
それは地球の時空を上から眺めているかのような深い印象を受ける話なのだけれど、この部分についてはまた次回に。
posted by Sachiko at 22:23
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| 宮澤賢治
2025年10月04日
「兄と妹」
グリム童話『兄と妹』(Brüderchen und Schwesterchen)
日本では兄と妹と訳されているけれど、どちらが年上なのかは明記されていないので、海外の絵本や演劇では「姉と弟」という描写になっていることもある。
きょうだいのどちらが年上なのか定かではないというのは、日本人の感覚としてはどうもモヤモヤする。
------------------
「お母さんが亡くなってから、僕たちはちっとも幸せじゃないね」
兄は妹の手をとって言いました。
二人は継母につらく当たられ、ろくに食べるものももらえなかったのです。
二人は家を出て歩きつづけました。兄はのどがかわいてたまらず、泉をさがしました。しかし悪い継母は魔女で、子どもたちの後をつけ、泉に魔法をかけていたのでした。
妹には、その水を飲むと獣になってしまうという泉のささやく声が聞こえたので、兄を止めました。
三つ目の泉に来たとき、妹は「私の水を飲む者はシカになる」という声を聞き「お兄ちゃん、飲まないで。さもないとシカになって逃げてしまうわ」と言いましたが、兄は聞かずに水に口をつけたとたん、子鹿の姿になっていました。
妹はシカを連れて森の奥へ進み、空家をみつけてしばらくそこで暮らしました。
あるときこの国の王さまがこの森で大がかりな狩りを催しました・・・・
------------------
この物語には典型的なメルヒェンの要素がいっぱい詰まっている。
悪い魔女と子どもたちの受難、魔法で動物の姿に変えられること、王さまが現れて娘と結婚、魔女の娘が偽のお妃になりすます、“三度”の繰り返し、やがて真実が明らかになり魔女は罰を受けて死に、魔法が解ける.....
王さまがやって来た時、妹は結婚できる年齢になっている。兄妹はどのくらいのあいだ森で暮らしていたのか...などと考えるのは野暮というもの。
メルヒェンの時間はこの世の時計では計れない。そこには別次元の基準がある。
メルヒェンのヒロインも、王様や王子様も、この世の人間ではなく、宇宙の基準に従う深い魂のエレメントで、ゆえに時代や民族を超えた普遍性を持つ・・・などという解釈もまた野暮だろう。
ただこの彩り豊かなメルヒェンを楽しもう。
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『兄と妹』 https://fairyhillart.net/grimm1.html

日本では兄と妹と訳されているけれど、どちらが年上なのかは明記されていないので、海外の絵本や演劇では「姉と弟」という描写になっていることもある。
きょうだいのどちらが年上なのか定かではないというのは、日本人の感覚としてはどうもモヤモヤする。
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「お母さんが亡くなってから、僕たちはちっとも幸せじゃないね」
兄は妹の手をとって言いました。
二人は継母につらく当たられ、ろくに食べるものももらえなかったのです。
二人は家を出て歩きつづけました。兄はのどがかわいてたまらず、泉をさがしました。しかし悪い継母は魔女で、子どもたちの後をつけ、泉に魔法をかけていたのでした。
妹には、その水を飲むと獣になってしまうという泉のささやく声が聞こえたので、兄を止めました。
三つ目の泉に来たとき、妹は「私の水を飲む者はシカになる」という声を聞き「お兄ちゃん、飲まないで。さもないとシカになって逃げてしまうわ」と言いましたが、兄は聞かずに水に口をつけたとたん、子鹿の姿になっていました。
妹はシカを連れて森の奥へ進み、空家をみつけてしばらくそこで暮らしました。
あるときこの国の王さまがこの森で大がかりな狩りを催しました・・・・
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この物語には典型的なメルヒェンの要素がいっぱい詰まっている。
悪い魔女と子どもたちの受難、魔法で動物の姿に変えられること、王さまが現れて娘と結婚、魔女の娘が偽のお妃になりすます、“三度”の繰り返し、やがて真実が明らかになり魔女は罰を受けて死に、魔法が解ける.....
王さまがやって来た時、妹は結婚できる年齢になっている。兄妹はどのくらいのあいだ森で暮らしていたのか...などと考えるのは野暮というもの。
メルヒェンの時間はこの世の時計では計れない。そこには別次元の基準がある。
メルヒェンのヒロインも、王様や王子様も、この世の人間ではなく、宇宙の基準に従う深い魂のエレメントで、ゆえに時代や民族を超えた普遍性を持つ・・・などという解釈もまた野暮だろう。
ただこの彩り豊かなメルヒェンを楽しもう。
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『兄と妹』 https://fairyhillart.net/grimm1.html
posted by Sachiko at 22:23
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| メルヒェン