グリム童話『ガチョウ番の娘』
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昔、夫を亡くした年とったお后がいました。
お后には美しい娘がいて、遠い国の王子と結婚することになり、お后は王女にふさわしい豪華なお嫁入りの品々を用意して侍女もひとり付けてやりました。
旅にはそれぞれの馬で行きますが、王女の馬はファラダという名で、話すことができる馬でした。
別れの時、お后はナイフで指を切り、白いハンカチの上に三滴の血を落として、途中で役に立つだろうからとそれを娘に渡しました。
旅に出ると侍女は高飛車な態度をとり、盃に水を汲んでほしいと頼む王女に、「自分で川から飲めばいい」と言い、王女が腹ばいになったとき、胸にしまったハンカチが落ちて川を流れて行ってしまいました。
これで王女が無力になったことを知った侍女は、馬と衣裳を自分のものと取り換えるように言い、王女になりすましてお城に入りました。
こうして本物の王女はガチョウ番の少年の手伝いをすることになりました。
偽の花嫁は、馬のファラダが何かしゃべるといけないと思い、馬の首を切り落とすように王子に頼みました。
それを知った王女は畜殺人に、馬の首を町の門に留めてほしいと言い、そのようになりました.....
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最後はすべてが明らかになり、侍女は裁きを受けてハッピーエンドになる。
白いハンカチの上の三滴の血というシンボルは、他の物語にも出てくる。
『白雪姫』では、お后が窓辺で指に針を刺し、雪の上に三滴の血が落ちる。
『ネズの木−または柏槇の話−』では、長いこと子どもをほしがっていた夫婦がいて、ある時妻が木の下でリンゴを剥いていて手を切ってしまい、雪の上に三滴の血が落ちる。
円卓の騎士のひとり、聖杯探求者のパルジファルの物語では、鷹が空から舞いおりてきて一羽の野鴨に傷を負わせ、血が三滴、雪の上に滴り落ちた、という描写がある。
三滴の赤い血のシンボルを、昔の人間はそのままで魂的に理解することができたらしい。
現代人は何もかも頭で解釈しようとし、頭が理解できないものはわけがわからないといって否定しがちだ。
雪の上の三滴の赤い血のイメージを、繰り返し魂に響かせていくと、やがて何かを語りかけてくるかもしれない。その言葉は明晰な頭の言語ではないだろう。
ところで王女が切られた馬の首に話しかけるところ、私は『遠野物語』のオシラサマ伝説を連想してしまったのだけれど、もちろん二つの物語には何の関係もなくストーリーも全く似ていない。
ただ、古い時代、人間と馬ははるかに密接な関係にあったことを思い起こさせる。全く違う話なので、オシラサマの話はまた別の時に。
https://fairyhillart.net/grimm1.html
posted by Sachiko at 17:10
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メルヒェン