2019年09月19日

山の初雪

大雪山系で初雪...というニュースに、わ〜雪だ♪と思ったのだが....山の「初雪」と「初冠雪」は違うということを初めて知った。

雪が降っただけだと初雪で、山頂に雪が積もっているのが気象観測所から目視できると初冠雪なのだそうだ。

平地では、まだ夏日に近い日もありそうだし、初雪が降るのは早くても一か月以上先だ。

今年の初雪はどんなふうにやってくるだろう。
雨が、見ているうちに雪に変わっていくこともあるし、ある朝窓の外を見ると一面真っ白になっていることもある。

早朝雪が積もっているときは、なぜか外を見る前からわかる。独特の静けさが漂っているせいか、目が覚めた瞬間に確かな雪の気配がするのだ。

雪の話は、全国的にはまだまったく場違いだろうけれど....
それでも雪とか氷点下という言葉を聞くと、早くもクリスマスのことを思ったりして内心ワクワクしてしまう^^ゞ

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今日の虹はダブルレインボー(外虹が見えるかな?)

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posted by Sachiko at 22:17 | Comment(0) | 季節・行事
2019年09月18日

サルビア・アズレア

澄んだスカイブルーのサルビア・アズレア。この花も秋遅くまで咲く。

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耐寒性が強く−20度まで耐える。以前植えていたものはかなりの大株になっていたのだが、どうやら間違えて掘り起こしてしまったようで、去年は姿を見られなかった。

それで今年の春にまた新しい苗を植えた。やはり秋にこの花がないと寂しい。
アズレア、パテンス、コバルトセージ....
秋に咲くサルビアたちの、少しずつ色味の違う青が美しい。

この青い色は、とっておくことができない。
どんな植物も草木染の材料になるけれど、花と同じ色は出ないし、色の堅牢度が弱くすぐに退色してしまう。

藍、茜、蘇芳など、昔から染料として使われている植物は堅牢度において別格なのだが、少しずつ褪せて色合いが変わっていくのもまた自然な味わいだ。

青い花と言えばツユクサの青も美しいが、繁殖力が強すぎて雑草扱いになっている。ツユクサの仲間から取れる青い染料は、水で簡単に落ちるので友禅染の下描きに使われる。
やはり、とっておくことのできない青だ。

写真を撮っても、それは実物ではない。自然は動き、変化する。美は今だけ目の前にあって、やがて移ろい、消えていく。
とっておくことのできない美に、むしろ安らいだ永遠を感じる。

サルビア・アズレアはとても背が高くなり、大株になると花の少ない季節には存在感がある。
ほとんど雪が降る頃まで咲き続けるので、冬囲いのときにまだ花をつけている茎を刈り込むのは少々心苦しい。
  
posted by Sachiko at 22:36 | Comment(0) |
2019年09月17日

ばらの名前

四季咲きのイングリッシュローズは、秋遅くまで咲き続ける。
オールドローズの血を引くふんわりした姿は、他の草花ともよく調和し、ナチュラルガーデンに植えても違和感がない。

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「いつか本に、ばらはたとえほかのどんな名前でもおなじように匂うと書いてあったけれど、あたしどうしても信じられないの。もしばらが、あざみとかキャベツなんていう名前だったら、あんなにすてきだとは思われないわ」(『赤毛のアン』より)


こんなことを言われているキャベツだけれど、意外にもその姿はばらに似ていたりする...かも?
これは結球し始めた紫キャベツ。

cabbage.jpg

ばらに似た形は、植物界のいろいろなところに隠れている。
螺旋形に巻いていくのは、植物の成長プロセスにおける基本形のひとつで、星の動きと関係がある。
それをもっとも美しく表現しているのが、ばらということだろうか。
  
posted by Sachiko at 21:52 | Comment(2) | 自然
2019年09月15日

夜明けの虹

棚の奥から数年前のメモ書きが出てきた。ある本から抜き書きしたもののようだ。いろいろ書いてある中に、こんなのがあった。

「外に出て、世の中を変えるということは私には向いていません。それは、何かが間違っているので変える必要があるという考えから生まれる行為で、問題に対する批判のエネルギーをますます増大させるだけだからです」

“外に出て世の中を変えるということは私には向いていない”

確かに、そんなことは私にもまったく向いていない。そのことを肯定された気がして書き留めたのだったろうか。
別の人智学系の人だったか、こんなことを言っていた。

「批判というのは過去のものです。自分の正しさのために、自分の優位性のために、何か(誰か)を批判する時代は終わりました。」

その他、私がもはや過去のものだと思うもの:
ピラミッド型組織、比較競争、賛否の議論、党派、宗派、頭だけの知性....etc.

ずいぶん前に、あることに気がついた。
いつからか、何かに対する反対運動などが、そこに注がれるエネルギーに見あう成果を上げなくなったように思える....
世の中の悪事をあばいて非難糾弾する人が、正義の味方に見えなくなった....

もう、次元が変わっている。
何かに対し「断固戦います!」と言うとき、そこには戦いのエネルギーがある。
「拡散希望!」という言葉に、恐怖や怒りのエネルギーが乗っているなら、それらのエネルギーもいっしょに拡散される。

言葉や行為以上に、そこに入っている(動機になっている)エネルギーの質が実現される時代が来ている。


メモ書きした元の本:
「喜びから人生を生きる」(原題:DYING TO BE ME アニータ・ムアジャーニ著)

著者は末期癌による臨死体験の中で、全宇宙との一体感を感じた。身体はなくても、自分の純粋な本質は存在し続けていて、それはすばらしい感覚だった。

この意識状態で肉体に戻れば病気など消えてしまうのではないかと思い、肉体の中で意識が戻った後、実際にすべての癌は消えてしまった。
その後の人生は一変した。時間は直線的なものでなく、あらゆる瞬間は同時に存在する....


このことは先日書いた「モモ」の中の「重なった時間の層」の話にも似ている。
過去は変えられないものではなく、あらゆることがもっと自由で創造的なのだった。

新しい文明の夜明けに、どれだけの時間を要するのかわからない。しばらくのあいだは古いものも同時に存在し続け、最後のあがきとしてますます力を振るうように見えるかもしれない。

変わるものは変わっていくだろう。行くか留まるか、もちろん各自に決める自由がある。

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数日前の、朝焼けの中の虹(見づらいけど...)

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posted by Sachiko at 22:11 | Comment(2) | 言の葉