2019年07月22日

星の時間

ある種の小さな昆虫の中には、寿命がわずか1、2日というものがいる。羽化して、出会い、卵を産んで果てる。

今は医療技術などによってずいぶん長くなっているが、人間の元々の寿命は70〜72歳だそうだ。(日本で健康寿命の平均と言われているのがこのくらい)

プラトンの宇宙年と呼ばれる、地球の歳差運動により春分点が黄道上を一周する時間---約26000年、これを365で割ったものが人間の寿命だという。

人間の一生は、宇宙の1日。
小さな虫の一生は、人間の1日...

宇宙時間から見ると、小さな昆虫と同じようなわずか1日〜1日半くらいのあいだに人生というものがあって、いろいろなことが起こっているわけだ。

人間は便宜上、あらゆる時間を地球人間界を基準に計っている。1年が365日というのも地球基準で、他の惑星ならまた違う時間になる。

さらに、太陽が銀河系の中心を回る周期がある。これも銀河系時間で、銀河系の倍の直径があるアンドロメダ銀河では、星々はまた違う周期を持つ。

全宇宙の共通時間というものはあるだろうか。何かの原子を基準にした時間など....?
いずれにしても、こうした計測できる時間は外的な時間だ。
それぞれの内的な時間には、それ自身の生命の横溢があるだろう。

ミヒャエル・エンデの「モモ」で、時間の国のマイスター・ホラの家には数えきれないほどの時計があり、それぞれ違った時間をさして、別々の音が絶えず鳴っていた。
けれどそれらの音全体は、夏の森で聞こえてくるような、規則正しい気持ちのよい響きなのだった。

あの時計の群れは、小さな昆虫や人間、遥かな銀河まで、存在がそれ自身であるときに奏でる、内的な時間の壮大な響き合いなのではないか、と思った。
  
posted by Sachiko at 22:42 | Comment(0) | 宇宙
2019年07月20日

木の時間

「NATURE BEINGS」(Margot Ruis著)から。

木のディーバたちは長い年月を生きるが、彼らは私たちとは違った時間の概念を持っている。

木を生かし続けるために300年ものあいだ一つ所に立っていることは、痺れを切らすほど退屈に思えるかもしれないが、それはエルフたちにとってはまったく違った経験なのだ。

二本の菩提樹がある。一本は700年を経た巨木で、そのディーバは60歳くらいの女性の姿に見え、力強く母性的なオーラは、始原の母なるものという印象を与える。

もう一本は庭の若い菩提樹で、植えられた時、そのディーバは14歳くらいの少女に見えた。その後彼女は木とともに成長し、輝く若い女性になった。

彼女は地球のエネルギーを樹冠から流し、枝を通して環境の中に導く。彼女の木の下と周りは、すばらしい波動を持つ特別な空間だ。

齢を経た木と若い木がともに具現化していることは、彼らが属する種の木の智恵だ。地球に木が存在するようになって以来、木の智恵は成長し続けている。
木のエルフが若くても、彼女は先祖の智恵につながっている。

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樹種にもよるけれど、多くの木は人間よりもはるかに長い時を生きる。しかも木は動かずにそこに立ち続け、成長し、昆虫や鳥や小動物などを養う。齢を経た巨木は特別なエネルギーを持つ。

人間はあらゆるものの時間を人間時間(時計の時間)で計ろうとするが、木のディーバは人間とは違う時間の中に生きている。

日常ではこのような時間のことを思うのは稀だ。
でも他のどんな存在もまたそうなのだろう。時計では計れない、それぞれに内在するそれ自身の時間がある。

ごく短い寿命に見える生きものでさえも、内的な時間から見れば、長い命を持つものと変わらない宇宙的な質を生きているのではないかという気がする。
   
posted by Sachiko at 21:28 | Comment(2) | 自然
2019年07月18日

「The Lost Words」

「The Lost Words」(ロバート・マクファーレン ジャッキー・モリス)

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----あるときから、子どもたちの言語から言葉が消えはじめました...
はじめは誰も気づかないうちにそっと消えてゆき、やがてある日、それらはなくなっていました....

しかし、欠けたものを見つけ、消えたものを呼び戻すための古い魔法があります。正しい呪文が唱えられたら、失われた言葉は戻ってくるかもしれません----


失われたのは、子どもたちの周りの自然界に関する言葉だった。
それも、そう珍しいものではなく、かつてはごく普通に身近に見ることができたはずのものたち....
こんなものまで失われてしまったのか?と思う。

ドングリ、ブルーベル、シダ、タンポポ、ヤナギ、ツタ....

だが...私が子どもの頃には、すでにこれらの言葉はそっと消え始めていた。
約27p×38pのこの大型本には、植物だけでなく鳥や小動物の名前も出てくるのだが、地域が違うということを考慮しても、都心に近いところに住んでいた私は、野鳥や野生動物は身近に見たことがなかった。

ヒバリ、カワセミ、ムクドリ....

カエルの卵やオタマジャクシも、かろうじて遠足に行った先で見たことがあるだけだ。


この本では、失われた言葉を取り戻すために、それぞれの名を冠した詩(正しい呪文)と、美しい絵が描かれている。
そして、読んでいるうちに、失われたのはここに出てくる生きものの名前だけではないことに気づく。

朝露、夕焼け、陽だまり、木陰....
三日月、半月、一番星....
うろこ雲、入道雲、霧雨、夕立....

こうした言葉は今、子どもたちの生活の中にあるだろうか。
人々がもっと自然に近いところに暮らしていた時代には、空模様を読むことや月のフェイズを見ること、動植物の名前を知っていることはあたりまえだったはずだ。

失われた言葉に気づくとき、それらへの関心が戻ってくる。意識を向けられたものはこの世界に居場所を持つようになる。ここにある詩や絵は、その場所へ導く小道のようだ。

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posted by Sachiko at 22:38 | Comment(2) | 絵本
2019年07月17日

アカハナカミキリ

赤褐色のアカハナカミキリ。

akahana.jpg

これも全国どこにでもいる普通種らしいが、体長2センチほどの小さな虫なので、見つけようとしなければ見つからない。

それにしても、甲虫の仲間のつややかな翅は美しい。この色合いは漆細工のようだ。フォルムも美しい。
長い触覚が牛の角に似ているので、カミキリムシは漢字で「天牛」と書く(別の漢字も幾つかある)。

カミキリムシも、かつてはどこにでもいて誰でも知っている虫だったと思う。

それにしても、空き地で遊ぶ子どもの姿を見なくなって久しい。空き地に見える場所も実は誰かの所有地で、入ってはいけないという考えが徹底したのか、空き地で遊ぶほど暇ではないのか、それよりもゲームなのか...

小さな自然でさえこんなに生き生きと美しいのに、それらに触れることは命を強めてくれるのに、ゲームで時間をつぶすのはもったいない。

春はタンポポ、夏はシロツメクサの花輪を作った空き地、作り方を教えてくれたのは誰だっただろう。たぶん年上の子どもたちが代々伝えていったのだ。

都会のささやかな自然だった場所も激減し、クワガタもセミの抜け殻も見つからなくなり、昆虫同様、昆虫少年も稀少種になってしまったらしいのは寂しいことだ。
  
posted by Sachiko at 21:52 | Comment(2) | 自然