2026年02月02日

スノームーン

雪深くなる地域のネイティブアメリカンの呼び名で、2月の満月はスノームーン。

正確な満月の時刻は今朝7時頃だったが朝は見えないので、昨夜少し晴れ間があったときにスノームーンを見ることができた。
冬の満月は高く昇り、澄みわたる静けさの中で、月も雪も銀色に輝く。

太陽と月が巡り、季節が巡る。循環し回帰するものは安心感を与える。
必ず帰って来て、帰って来るたびに新しい。

現代社会の漠とした不安は、安心感のない直線的な文明にあるのではないかと思う。ひたすら突き進みスピードを上げ、どこへ行くのか、突き進んだ果てにどうなるのかもわからない。


気がつけばもうかなり日が長くなり日差しも強くなっている。氷点下が続き雪は深いけれど、気配がもう真冬ではない。

2月2日はキャンドルマス。ケルト文化ではインボルク祭、火と光の祝祭だ。
雪の下ではもうスノードロップが目を覚ます用意をしているだろう。
目には見えないその動きが雪を通して感じられるようなのだ。

積もった雪も、必ずとけることを知っている。
春の歓びを連れて、花たちが一斉に帰ってくる。
次の3月の満月はワームムーン、土の中で虫たちが動きはじめる頃。和暦の啓蟄の意味に似ている。
 
posted by Sachiko at 11:47 | Comment(0) | 季節・行事
2026年01月20日

床屋のフージー氏

久しぶりに『モモ』(ミヒャエル・エンデ)より。

物語の中で、最初に灰色の男たちに捕えられたのが床屋のフージー氏だ。
ある雨の日、フージー氏は不意に自分の人生に疑いを持ち始める。
仕事はそれなりに楽しく、お客とのおしゃべりも嫌いではなかったのに。

「おれはなにものになれた?たかがけちな床屋じゃないか。もしもちゃんとしたくらしができてたら、いまとはぜんぜんちがう人間になってたろうになあ!・・・そんなくらしをするには、おれの仕事じゃ時間のゆとりがなさすぎる。」

そのとき店の前に車がとまり、灰色ずくめの紳士が降りてくる。
紳士はフージー氏がいましがた考えていたことを言い当て、時間の倹約をすすめて奇妙な計算を始める。

仕事や毎日の必要なことに使っている時間をすべてムダといい、年とった母親の相手をすることやインコの世話、合唱団の練習、友だちと会ったり本を読むことも、役に立たないことへの時間の浪費と言い放つ。

そしてフージー氏が秘密にしていたこと.....毎日花を持って車いすのダリア嬢を訪ねていたこと、さらに、寝る前に窓辺にすわってその日のことを思い出す習慣も、ムダ。

人生の時間から、これまでムダにしてきた時間を引くと、残り時間は...ゼロ!この計算こそ、灰色の男たちが何万もの人間をだますのに使ってきた手口だという。
時間のムダ、時間の節約....これは『モモ』が書かれてから半世紀以上も経った今も、ますます盛んに叫ばれている。時短、効率、生産性....

灰色の男がやって来たとき、フージー氏は寒気を感じる。怪しげな計算が進むと、くちびるが紫になるほど寒くなった。
「ムダ」と切り捨てられた時間は、その中にあたたかさを持つ時間ではなかっただろうか。

灰色の男たちは人間的なあたたかさが嫌いだ。
つまり、灰色の男たちの支配下に入らないためには、あたたかな触れあいやつながりを持っていること、それを大切に思うことだ。

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エンデの言葉

「灰色の男たちは、こまぎれ、分解の原理です。彼らにとっては、計算、計量、測定できるものだけしか現実性をもたない。計量思考を代弁しているのです。」

「人間から時間が疎外されていくのは、いのちが疎外されていくことであり、そう仕向けていく恐ろしい力が世界にある。しかし一方に、別の力が働いており、これが人間に治癒の作用を送ってくる。と、そこまで『モモ』で暗示したつもりです。」
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あたたかな内的時間。その時間で体験したことこそ、地上の人生を終えるときに、向こう側に持って行けるものだ。それはその人のほんとうの時間なのだから。
Zeit ist Leben(時間は、いのち)
 
posted by Sachiko at 22:35 | Comment(0) | ファンタジー
2026年01月06日

エピファニー2026

今年もエピファニー。今日はクリスマスツリーを片付けた。
今回は12聖夜の旅はお休みしたけれど、ちょうどその頃に『銀河鉄道の夜』のブルカニロ博士との対話をたどっていたのもいいタイミングだった気がする。

時間の間隙と言われている12聖夜は、「みんなのほんとうの幸福」を問うのにふさわしい時に思える。
そして12聖夜は、黄道12宮を巡る、まさに「星めぐり」の深く静かな旅なのだ。

ほんとうの幸福は、この地上生には収まりきらないもののようだ。
この世で幸福の要素と言われているものをどれほど手に入れても、それらが大海の一滴にしか見えないような....

だから、銀河をどこまででも行けるほんとうの切符が必要で、ジョバンニがそれを託されたことは恩寵であり、覚悟のいる使命でもあったのだろう。

結局また銀河鉄道の話になってしまった。
エピファニーを過ぎると、もう日の光が随分明るい。
  
posted by Sachiko at 22:10 | Comment(0) | クリスマス
2026年01月01日

2026 HAPPY NEW YEAR♪

明けましておめでとうございます。

年末までずっと、みんなのほんとうの幸福を求める
『銀河鉄道の夜』の話を続けてきました。

時代は大きな転換点を迎えるようです。
みんなのほんとうの幸福を求める気持ちに変わったとき、
緑いろの不思議な切符は、ポケットに入っているかもしれません。

今年も、すべての生きものたち、小さな菌類や遠い星々、
それらの背後ではたらく見えないものたちとともに
皆さま幸せでありますように♪
 
posted by Sachiko at 14:38 | Comment(0) | 季節・行事
2025年12月31日

ブルカニロ博士・8

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「ぼくきっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます。」ジョバンニは力強く言いました。
「ああではさようなら。これは例の切符です。」
博士は小さく折った緑いろの紙をジョバンニのポケットに入れました。
そしてもうそのかたちは天気輪の柱の向こうに見えなくなっていました。
ジョバンニはまっすぐに走って丘をおりました。そしてポケットがたいへん重くカチカチ鳴るのに気がつきました。林の中でとまってそれをしらべてみましたら、あの緑いろのさっき夢の中で見たあやしい天の切符の中に大きな二枚の金貨が包んでありました。

「博士ありがとう、おっかさん、すぐ乳をもって行きますよ。」
ジョバンニは叫んでまた走りはじめました。何かいろいろなものが一ぺんにジョバンニの胸に集まってなんとも言えずかなしいような新しいような気がするのでした。
琴の星がずうっと西の方へ移ってそしてまた夢のように足をのばしていました。
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ブルカニロ博士の話はここで終わる。
最初に書いたように、第四次稿の次の二つの文のあいだに、文庫版で4ページほどにもなる深遠な物語が挿入されていたのだ。
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もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。

ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。
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不意に現れて、あっという間に天気輪の向こうに見えなくなった博士は何者だったのか、どこか人間を超えた存在のように見える。
ブルカニロ博士は、エンデの『モモ』に出てくるマイスター・ホラに似ているという話があるが、私もそう思った。

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・・するといきなりジョバンニは自分というものが、自分の考えというものが、汽車やその学者や天の川や、みんないっしょにぽかっと光って、しいんとなくなって、ぽかっとともってまたなくなって、そしてその一つがぽかっとともると、あらゆる広い世界ががらんとひらけ、あらゆる歴史がそなわり、すっと消えると、もうがらんとした、ただもうそれっきりになってしまうのを見ました。だんだんそれが早くなって、まもなくすっかりもとのとおりになりました。
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この箇所など、モモがマイスター・ホラの腕に抱かれて見た「時間の花」が次々と咲いては消える池の情景を思わせる。これは、賢治もエンデも、ある同じ根源に触れたことで似た表現になったのだろうか。

そうしてジョバンニが元の場所に戻った時、そこでは星の位置はさっきとそれほど変わっていないようだった。
ブルカニロ博士の話も銀河鉄道の旅も、夢と言ってしまうにはあまりに深く、ジョバンニは肉体を草地に置いたまま時空を超えた魂の体験をしていたというのが確かな気がする。

宮澤賢治はなぜブルカニロ博士の話を削除してしまったのだろう。
『銀河鉄道の夜』自体が未完ということなので、もっと長く生きていたらさらに改稿が重ねられて、どこかで再びブルカニロ博士が復活することもあったかもしれない。
  
posted by Sachiko at 22:08 | Comment(0) | 宮澤賢治
2025年12月29日

ブルカニロ博士・7

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「さあ、切符をしっかり持っておいで。おまえはもう夢の鉄道の中でなしにほんとの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない。」

あのセロのような声がしたと思うとジョバンニは、あの天の川がもうまるで遠く遠くなって風が吹き自分はまっすぐに草の丘に立っているのを見、また遠くからあのブルカニロ博士の足おとのしずかに近づいてくるのをききました。
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『ジョバンニの切符』という章の中に、ジョバンニがいつの間にか持っていた緑色の切符のことが出てくる。
それを見た鳥捕りがこう言った。

「・・・こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさぁ」

この緑色の切符はジョバンニだけが持っていたようだが、自分ではどこで手に入れたのだったかわからない不思議な切符だ。
そしてこれは、けっしてなくしてはいけない、ただひとつのほんとうの切符らしい。ブルカニロ博士という名前はここで初めて出てくる。

切符についてのアレゴリー的な解釈は不要だろうと思う。
ほんとうの幸福を探す旅に必要な、大切な切符なのだ。

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「ありがとう。私はたいへんいい実験をした。私はこんなしずかな場所で遠くから私の考えを他人に伝える実験をしたいとさっき考えていた。おまえの言った語はみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。

おまえは夢の中で決心したとおりまっすぐに進んでいくがいい。そしてこれからなんでもいつでも私のとこへ相談においでなさい。」
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博士は夢と言っているけれど、文字通りの夢とは思えない。博士のテレパシー実験のようなことらしいが、それ自体何がどうなっているのかどうもよくわからない。
この“夢”の中では、ジョバンニはいつでも相談に行けるように博士の居所も知っているのだろうか。

カムパネルラや、汽車の中で会ったさまざまな人たちも、テレパシー実験の入れ子のようになっているのか...
全体がやはり、夢と言い切れない深く壮大な魂の旅に見える。

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余談:この記事で、記事数999(スリーナイン)になった♪
  
posted by Sachiko at 22:52 | Comment(0) | 宮澤賢治