2026年09月25日

十五夜2026

今夜は十五夜。
正確な満月は2日後なので、ほんのわずかまん丸ではないが、晴れていて美しい中秋の名月を見ることができた。

私が幼い頃は「今夜は十五夜さんだから...」と「さん」をつけて呼ぶ人も多かった。
十五夜さんとか七夕さまとか、季節行事はいいな、と思う。

お月さま、お天道さま、お星さま....これら日本独特のやさしい呼び名。北米などの先住民のあいだでも、自然界の存在を人格化した呼び方はあったようだ。

太陽や月や星々が、無機質な科学の目で見た遠い天体ではなく、異なる姿と役割を持っているけれど、私たちの親しい仲間なのだという認識。
そういう意識を持って見るのとそうでないのとでは、世界の見え方がまったく違う気がする。

今日はお月見団子風の小さなお饅頭を15個作り、ススキといっしょに月の見える窓辺にお供えした。季節行事はいいものだ。

ススキは以前は毎年採りに行ってもらっていたが、生えている場所が年々遠くなったので、3年ほど前に苗を買って植えた。今では大株になっている。
 
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posted by Sachiko at 22:22 | Comment(0) | 季節・行事
2026年08月31日

ムーミンママの「怒りの森」

『ムーミン谷の11月』より。
 
ムーミンファミリーが留守中のムーミン屋敷に、次々と人が何かを探しに訪れる。その中のひとりホムサ=トフトは、憧れのムーミンママに会いに来たのだ。
 
ムーミン家の人たちは、腹を立てたり憂鬱になったりひとりになってせいせいしたいときには、家の裏手にある気味のわるい森の中に入るのだと、ミムラが言う。
ムーミンママはそんな人じゃないと、ホムサ=トフトは叫ぶ。
トフトはムーミンママを理想化している。
 
帰ってこないムーミン一家を待ちきれずに腹を立てたホムサ=トフトは、裏庭を通り越して薄暗い森の中へ駆け込む。
ここはみんなが暗い想いを抱いて歩き回るだけの「怒りの森」なのだ。
 
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ムーミンママは、くたびれたり、はらがたったり、がっかりしたり、ひとりになりたいときには、あてもなく、はてしなくうす暗いこの森の中を歩きまわって、しょんぼりした気持ちをかみしめていたんだ.....ホムサ=トフトには、まるっきりいままでとはちがったママが見えました。すると、それがいかにもママらしくて、自然に思えました。
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けっして理想郷ではないと言われるムーミン谷が、それでもどこか理想郷のように見えるのはなぜだろう。
 
『・・・ムーミン谷は、けっしてユートピアでもないし、おとぎの国でもありません。
--中略--それにもかかわらず、ムーミン谷には、どんな強烈な個性の持ち主であっても、だれもが、自分らしく、自由に生きられる世界があります・・・』(あとがきより)
 
浅薄な理想-----泣いている人や怒っている人がいなくて誰もがいつもニコニコ笑っていてみんな仲よくしている-----は、怒りの森よりもはるかに薄気味が悪い。
と思っていたら、ドンピシャの言葉を見つけた。
 
 なぜ、「みんな仲よく」という思いが、
 かえって本音を言えない空気を生み出してしまうのか。
 
 
仲よくする必要があるのは、心地よいものばかりではない自分の内界の存在たちだ。
だからムーミン谷は魂の世界に似ている。
必ずしも仲よくなく、理想的な善人でもない、あらゆる形姿を持つ奇妙な人たち。
 
フィリフヨンカとガフサ夫人は、本心では互いのことが好きではないのに“社交的なおつき合い”を続けている。
ヘムレンさんは人に命令して動かそうとするのが好きでひんしゅくを買っている。
みんなから怖れられる、暗く冷たい怪物のようなモランもいる。
その中でほとんど理想的に見えるムーミンママも、裏手に「怒りの森」を持っている。
 
 
ムーミン谷には、それらすべてを非難も評価も排除もせずに包み込む“何か大いなるもの”が存在するように思える。
それがムーミン谷をどこか理想郷のように思わせ、人々は自由に安らぐことができるのだろう。
 
posted by Sachiko at 21:30 | Comment(0) | ムーミン谷
2026年07月31日

ムーミン谷にはリーダーがいない

ムーミン谷は誰が統治しているのか、そもそもそのような存在がいるのかどうかもわからない。

例えばナルニアのアスランのような神格、ミドルアース(中つ国)のアラゴルンやガンダルフのような王や指導者、アースシーのゲドのような英雄もいない。

ムーミン谷にはありとあらゆる個性を持つ奇妙な人々がいて、モランのような恐ろしげな存在もいるのに、権力者はいない。

ムーミンの原型のようなキャラクターが最初に描かれたのが1943年。物語の第一作は1945年。トーベ・ヤンソンが「あの忌々しい検閲時代」と呼んだ戦争時代に、反権力派の雑誌の中でムーミンはひっそり誕生したのだった。


一人一人がひたすら自分自身を生きまくることで秩序が成り立っているというムーミン谷。もし、みんなを仕切る強いリーダーがいたとしたら....

スナフキンは仕切り屋などまっぴらだろうし、ミイは相手にせず好きなようにふるまうだろう。
他の人々も同様に、つまり誰も、人や物事を外から動かそうとする古いタイプのリーダーなど必要としていないのだ。


“一人一人がひたすら自分自身を生きまくる”、これが鍵だ。
アナーキーなムーミン谷にリーダーがいるとすれば、それは一人一人の中の『自分自身』ではないのだろうか。

強い力を持つリーダーを外側に必要としないほど『自分自身』になることで、全体の秩序も整う。ジグソーパズルの各一片が、正しくそれ自身の場所にあるように。
それは未来の理想であり、ムーミン谷は未来に実現する世界のようにも見える。


それでももし中心的人物がいるとすれば、ムーミンママだろうか。

ゆったり、どっしり、ふんわり...

そこにいるだけで、誰をも力で動かすことなくすべてを包み込み受け入れ、そうしてひとりひとりが自由に自分自身でいることができる空気を、意図せずに創り出している。

これは新しい時代のリーダー像のようにも見えるけれど、リーダーという呼び名はもう合わない、別の何かだ。

ミヒャエル・エンデが『モモ』について、常に行動的だった従来のヒーローに対し、行為ではなく存在、ただそこにいるだけでヒーローであるような全く違うヒーロー像を描こうとした、という話にも通じる気がする。
 
posted by Sachiko at 17:34 | Comment(0) | ムーミン谷
2026年07月25日

木いちごの物語

外国の物語によく出てくる木いちごという名には、どこか異国的な響きがあった。木いちごの仲間は日本にも自生しているけれど、あまり日常の暮らしに入り込んでいなかったのか、聞き慣れない名前に感じていた。

「木いちご」はバラ科キイチゴ属の総称で、ひとつの種を指しているのではないけれど、やはり木いちごと聞けば赤いラズベリーを連想してしまう。

そしてムーミンママの木いちごジュース。
物語の中では何度も出てくるのに、私が持っている『ムーミンママのお料理の本』にはなぜか載っていない。

原語では何と書かれているのかわからないのでこの木いちごがラズベリーかどうかも定かではないが、まあラズベリーだとして、ムーミン谷の夏を思いながらジュースを作ってみたい。
今年は採りきれないほどラズベリーがなっているのだ。


もうひとつ別の物語を。
赤い色の飲み物は他のどんな色のよりもおいしい味がする、というのは、ダイアナを酔っぱらわせた事件の時の赤毛のアンのセリフだった。
古い村岡花子訳で「いちご水」と訳されているこれは、原語では「ラズベリー・コーディアル」というそうだ。

コーディアルはシロップのようなもので、イギリスあたりではおなじみの飲み物らしく、いかにも北国の爽やかな夏に似合いそうなイメージがある。
今日の札幌は最高気温24度で、夜は肌寒いくらいになった。
ベリーの似合う涼しい夏の日、久しぶりに昔の夏のようだ。
 
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posted by Sachiko at 22:36 | Comment(0) | 暮らし
2026年06月30日

ストロベリームーン

6月の満月はストロベリームーン。
ネイティヴアメリカンの月の呼び名も最近は少しずつ知られてきているようで、今日は天気予報の中でストロベリームーンのことが話題になっていた。

名前の由来は、野いちごが実る時期だからだそうだ。
野いちごというのは数種類の野生のいちごの総称だが、都市ではあまり見かけることがない。

別の場所に住んでいた頃、近くの大きな公園にとても小さな実をつける低木が生えていた。
ブラックベリーを小さくしたような赤黒い実を少しばかり摘んで、砂糖漬けにしてケーキの飾りに使ったことがある。何という名前の実だったのかはわからない。

フィンドホーンからのメッセージにも、ストロベリームーンについて触れられていた。

“地球上のどこにいようと、私たちみんなが同じ満月を眺めることを思うのは、なんと美しいことでしょう”

ほんとうに、月はどこからでも見える。
場所だけでなく、いつの時代に生きていた人々も、同じ月を眺めたのだ。
そして民族ごとに、月に異なる名前をつけ、異なる儀式を捧げてきた。
それでも月は、ずっと同じひとつの月。

気がつけば6月も終わりで、我が家のラズベリーも赤く熟し始めている。
 
posted by Sachiko at 22:26 | Comment(0) | 季節・行事
2026年06月11日

アーサー王伝説の息づく地

「コーンウォール--妖精とアーサー王伝説の国」(井村君江)から。

アーサー王ゆかりの場所であるティンタジェル城の話は以前、水の精の話のなかで少し触れたことがある。
コーンウォールの岬では、波が常に動き、光、空気、霧の自然霊が止むことなく活動しているという話だった。

私はティンタジェル城という名前にはなじみがなかった。
アーサー王の城といえばキャメロットではなかったか?と思ったのだ。
キャメロットは居城であり、生誕の地がティンタジェル城ということだが、これもさまざまな話が交錯している。


英雄の典型的な特徴として、特異な出生と悲劇的な死が挙げられる。

コーンウォールの美しい王妃に想いをかけたイングランド王ウーサーは、魔術師マーリンの魔法で姿を変えてもらい、夫と思わせて王妃と床を共にし、アーサーが生まれる。
その時の約束で、アーサーはマーリンに引き取られて育てられる。

ちなみに魔術師マーリンもまた、美男に化けた魔法使いの男と人間の女性とのあいだに生まれた子どもということで、こちらも特異な出生になっている。


コーンウォール地方では各地に城塞や教会などの跡があり、考古学と伝説が結びついていて、キャメロットがあった場所も諸説あり、まだ特定されないまま研究が続けられているそうだ。

聖剣エクスカリバーが沈められたと言われている湖もあるのだが、これもまだ一か所に特定されていないようだ。

伝説は生きもので、語り伝えられるうちにさまざまな逸話が加えられたり、また枝分かれしたりして変容を重ねていく。
伝説が色濃く息づいている土地は、自然の精霊たちが今も活発にはたらいている地でもあるのだろう。
 
posted by Sachiko at 17:33 | Comment(0) | 神話・伝説・民話