…と言ってもホグワーツではなく、ミヒャエル・エンデの短編で、「望みの国」という、まだ少しは望みがかなう国の学校のお話。
子どものために書かれたやさしい言葉づかいだけれど、これがけっこう手ごわい。
ここの魔法の学校では、魔法薬も魔法の杖も使わない。
入れるのは、とても強い『望む力』を持っている子どもたちだけ。
魔法を使おうとする者は、自分の中の「ほんとうの望み」を知らなければならない。そしてほんとうの望みは、自分自身のほんとうのお話を生きるときだけに見つかる。
『望む力』の規則は、これだ。
1.ほんとうに望むことができるのは、できると思うことだけ。
2.できると思うことは、自分のお話に合うことだけ。
3.自分のお話に合っているのは、ほんとうに望んでいることだけ。
…手ごわい。そして数々の名言...
「ふつうの国」では、自分のお話を生きたことがいちどもない人がほとんどだ」
「それが別の人のお話から出た望みなら、けっして自分のお話を生きることはできないだろう」
「悪い魔法使いの言うとおりになるのは、自分の本当の望みを知らないし、自分自身でもない人たちだけだ」
「『望みの国』では、ううん、たぶん世界中で、ほかの物とつながりが全然ないものは一つもないってことなの」
「作りだしたものは、どんなものでも、作った者まで変えてしまうんだよ」
『望む力』の規則を、ここ「ふつうの国」でも、子どもの頃に教わりたかった。
それとも…
…ふつうの国でも、古い時代の賢い人々は、この規則を知っていた気がする。ふつうの国と、望みの国は、ひとつだったのだ。悪い魔法を解いて自分のお話を思い出し、そろそろ帰らなければ...ね。
posted by Sachiko at 22:53
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