2021年09月29日

ドルイドの石

グリーン・ノウ物語第5巻「グリーン・ノウの魔女」より

ある日、ペニ・ソーキーに用事があるオールドノウ夫人を、少年たちはピクニックがてら小舟で送ることになった。

出かけようとした時、丸天井部屋を借りているポープ氏が、誰か屋敷をのぞきまわっている者がいることを知らせにきた。その時はそれ以上のことはわからなかった。

その日は暑い日だった。
みんなが小舟の上でおしゃべりをしていた時、なんだかオールドノウ夫人の様子がおかしい。
うとうと眠っているようでもあり、声の調子も目つきもいつもと違っている。

「じぶんがじぶんでないみたい。他人になったみたい。じぶんがなにをしても、しなくても問題じゃないみたい。どうでもいいって気分...」

「あんたたちの名前は知っているけど、どうなったって、わたしの知ったことじゃないみたいだわ。」

間の抜けた笑い声も、まるで誰か他の人の声のようだった。

「だれかが、わたしに、つかみかかってくる....」

ピンが大急ぎで「力の石」を夫人の首にかけた。ピンが海で見つけたドルイドの石だ。鏡台の上にあったのを持ってきていたのだ。

石のはたらきで、夫人に取り憑いていた何かが出て行き、いつものオールドノウ夫人が戻ってきた。

帰りに少年たちは、行きの奇妙な出来事のことを考えた。
オールドノウ夫人は、大切なグリーン・ノウと少年たちを失ったような気分になっていたが、帰ってこられたことの喜びをしみじみと味わった。

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オールドノウ夫人さえ、何かよくない魔の力に乗っ取られそうになったが、ピンのドルイドの石はどうやら本物だったらしい。

思えば今回はこうして、最初から古い魔法の気配が少しずつグリーン・ノウを覆っていった。

オークの下で神聖な儀式を行ったドルイドは「樫の木の人々」と呼ばれ、深い心理を語った。
ドルイドたちは、失われたアトランティスの秘儀を知っていたという。
地球が今の姿になるよりも遥かな過去のことだ。

不思議に心惹かれるドルイドの智恵は、本来の姿では今日に伝わってはいないだろうが、古いサガの中に残照のように描かれている。

ひとつの小さなドルイドの石が、宇宙的な力を秘めていたことを、小舟の上でのエピソードは語る。
その力は、九百年も建っているグリーン・ノウも及ばないほど遥かな過去から来ている。

グリーン・ノウ物語では、そうした古いものたちが、現在の中に不意に現れ、揺るがない“存在”が圧倒するように輝きだす。そして、独特の気分の魔法にかかってしまうのだ。


「グリーン・ノウがやっぱりわたしたちのものだということを、とっくり味わいましょう」とオールドノウ夫人は言ったが、堀の向こうにはメラニー・デリア・パワーズが待ち受けていた.....
  
posted by Sachiko at 22:24 | Comment(0) | ルーシー・M・ボストン
2021年09月25日

「雨ふり小僧」

今日はちょっと変わったものを。
でもコミックカテゴリは作らない(作ると大変なことになりそうなので)。
手塚治虫の短編で、私が一番好きなのがこの「雨ふり小僧」だ。


山の小さな分教場に通うモウ太はある日、捨てられた古い傘から生まれる妖怪“雨ふり小僧”に出会う。
雨ふり小僧は、モウ太が履いているブーツがほしいという。

雨ふり小僧は大人には見えないらしい。ただ、雨ふり小僧がいるところに降る雨だけは見える。

分教場が火事になり、モウ太は雨降り小僧に雨を降らせてもらい、火事を消したらきっとブーツを持って行くと約束するが...

分教場が廃校になったために町へ引っ越すことになったモウ太は、すっかり約束を忘れたまま村を去ってしまう。
雨ふり小僧は約束の橋の下でずっと待っていた。


大人になったモウ太が小さな娘のブーツを買いに行った時、突然あの約束を思い出し、大慌てでブーツを持って村に向かう。
雨ふり小僧は、約束の場所で待っていた。

「約束のブーツを持って来た!!おまえったら、四十年もここで待ってたのかい!?」

「ウン」

けれどモウ太の目には雨ふり小僧の姿がしだいにぼやけて薄れて見える。

「まにあってよかったどに きっといつか持って来てくれると思っとったどに....」

まだ行かんでくれ!!雨ふり小僧!!とモウ太は叫ぶが.....

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雨ふり小僧は、大人には見えない。
最後にモウ太が会うことができたのは、子ども時代の約束の力が残っていたからなのか。

約束が果たされ、雨ふり小僧は消えていく。
成仏した、とも見える。
傘はもうボロボロになって、とっくに消えていてもおかしくなかった。

四十年も忘れていたモウ太と、四十年も待ち続けた雨ふり小僧。
約束が思い出されてよかった。
約束が果たされないまま消えてしまわなくてよかった。

この小さな物語はピュアで切ない。


これを思い出したのは、全く別のところからだった。
ずっと前に書いた、「自然存在−忘れられた友だちからのメッセージ」という記事の中、長いあいだ人間に忘れられたまま、まだ人間との共働を願い、待ち続けている自然界の精霊たち。

雨ふり小僧は傘の妖怪だから、人間界に近いところにいる。
井戸やかまど等、人工物の背後にも霊的存在がいると知っていた頃の人間は、きっと大人でもそれらの存在を知覚できたのだろう。

ちなみに一番好きな長編は、火の鳥でもブラックジャックでもなく、開拓時代の北海道を舞台にした『シュマリ』だ。
いや...コミックカテゴリは作らないけれど。
  
posted by Sachiko at 22:34 | Comment(2) | 未分類
2021年09月22日

メラニー・デリア・パワーズ

グリーン・ノウ物語第5巻「グリーン・ノウの魔女」より

グリーン・ノウで楽しく過ごすうちに、少年たちはその日のお茶の時間にメラニー・デリア・パワーズ博士が来ることを忘れてしまっていた。
その人は変わった歩き方で、庭の道をやってきた。

ミス・パワーズは屋敷のあれこれを見回し、さらに多くを見たがり、甘い調子でしゃべり続けた。
少年たちはその人を観察し、何か不穏でいやなものを感じ取った。

ミス・パワーズは、テーブルに乗っていた小さなフランス菓子を遠慮しておきながらも、食い入るように見つめていた。
そして、お茶が終わり立ちあがったときに、お菓子がひとつ彼女の指までひとりでに動いていき、彼女がそれをポケットに入れたのをトーリーは見た。上品そうにふるまいながらも、こんな奇妙な魔法を使う。

ミス・パワーズが帰ったあと、三人は解放されたように、彼女について感じたことを話し合った。

翌朝、メラニー(ピンとトーリーはミス・パワーズをこう呼んだ)がふたたびやってきて、いかにも厚かましくしゃべりまくった。
ここで、グリーン・ノウの古いチャペルの下の丸天井部屋には間借り人がいることが明らかになる。9世紀の写本を研修しているポープという学者だ。

グリーン・ノウの至るところを舐め回すように見て、どこにでも首を突っ込むミス・パワーズの厚かましさに、三人はすっかりうんざりしていた。

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こうしてグリーン・ノウは、今までとは違った顔を見せる。
この古い屋敷には、まだどれほどの秘密が隠されているのかわからない。

ミス・パワーズがあれこれに首を突っ込むおかげで、グリーン・ノウにあるたくさんの風変りな品々が紹介されることになる。
オールドノウ夫人は、自分の好みとは別に、家にふさわしいと思うものはどんどん集めていたのだ。

家自身がそれを引き寄せていたのかもしれなかった。
ほんものの家にはたしかに人格のようなものがある。
グリーン・ノウのような古い威厳のある屋敷ならなおのこと。

あらゆる機微を深く知り尽くして老成した人間のように、時折その深みから思いもよらない一面を取り出して見せる。

現代ではほんものの家はもう望むべくもない。
グリーン・ノウとは直接関係がないけれど、ある英国文化の本(これはまた別の機会に紹介したい)にこんな言葉があった。

…『ほんとうの家』なしに、人類はどうやって生きて行くつもりだろう?…

九百年生きてきた『ほんとうの家』は、そこにふさわしいほんとうの人間をくつろがせる。
オールドノウ夫人とピンとトーリーは、この家にふさわしかった。

そこにやってきたメラニー・パワーズは、まるで異質なものを持ち込む。
彼女はあれこれをこそこそと嗅ぎまわるが、けっしてここでくつろぐことはないだろう。
彼女の訪問は、グリーン・ノウにとっての災いを予感させた。
   
posted by Sachiko at 22:30 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン
2021年09月17日

ふたつの力・4

とても重要なふたつの力のことを忘れていた。
内に向かう力と、外に向かう力。

ひとりの中で、これらはバランスを必要とする。
外側の事象に心奪われすぎることと、内にこもって閉じすぎることの間で。


同じエネルギーでも、向きが変わるとまるで違うはたらきや見え方をすることがある。

去年からの世界的騒動の中で、○○警察など、正義感らしきものが元でトラブルを起こす出来事が多かった。

正しさとか正義というものは、本来内側に、自分自身に向けて作用させるものではないだろうか。
その時には、人生を導く信念や指針にもなるだろう。

外側の他人に向けて適用すると、対立と戦い、支配や抑圧、排除や裁きの力になる。
「私は正しい=あなたは間違っている」と。

それぞれが内なる正しさに沿うなら、「私は正しい、あなたも正しい」。
そして自由にそれぞれの道を行けばいい。

ずっと前に、フィンドホーンの唯一のルールとしての「正しさを作らないこと」という話を書いた。
正しさを作ると、必然的に正しくないものも同時に作り出すことになる。

正邪、善悪....それらは同じ平面上で戦う者同士だ。
両方が同時に見える位置から見ると、また違う見え方をする。

正しさという言葉自体がなんだか角張って見えるので、このやさしい詩で終わろうと思う。

 
 ひとは分けることはできない。義人と罪人、善人と悪人とを。

 かれらは皆一様に陽に向かって立っている。

 ちょうど黒糸と白糸が、一緒に織られるように。

 黒糸が切れれば織り手は布の全体を見、織機も調べてみるのです。

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 ほんとうに善い者は裸の者にたずねはしません。

 「君の着物はどこか」などと。

 家なき者にもたずねはしないのです。

 「君の家はどうなったのか」などと。

          (カリール・ジブラン『預言者』より)
   
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | 未分類
2021年09月13日

グリーン・ノウ物語第5巻「グリーン・ノウの魔女」より

玄関のそばの部屋にぶら下がっている魔法玉は、、鏡でできていた。
魔除けだったらしいこの鏡には、いろいろ変わったものが映るのだと、オールドノウ夫人は言った。

トーリーが望んだので、魔法玉は二人が寝室に使う屋根裏部屋に持って行くことになった。


翌朝、オールドノウ夫人のところに、メラニー・デリア・パワーズ博士という人物から手紙が届いた。
屋敷に残っているかもしれないフォーゲル博士の蔵書を手に入れたいという内容だった。

夫人がフォーゲル博士の話をしたとたん、博士のことを知りたいという人がやって来る。
おばあちゃんの話はほんとうになると、トーリーが言ったとおりだ。


もうひとつ、屋根裏部屋へ続く騎士の間には、古いペルシャ鏡があった。オールドノウ夫人は、これにも特別なことがあるに違いないと言う。

トーリーはその鏡を降ろしてもいいか訊ねた。
「返事はいつもと同じ。いいですよ。でも気をつけてね。」

少年たちが鏡を覗き込むと、そこに映る景色が少しばかりこちら側の実際とずれていることに気がついた。

「この鏡はちゃんと正しいところをうつすけれども、うつす時がずれてるんだ。」とピンが言った。

次に鏡を見たとき、鏡には女の人の顔が映っていた。
鏡が未来を映すなら、その人はいつかここにやって来る。

二人はペルシャ鏡も彼らの部屋に持って行くことにした。
鏡に映った人物が危険だと、彼らは感じとっていたのだ。

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鏡のことに限らず、オールドノウ夫人は子どもたちがしようとすることに「だめ」とは言わない。

「返事はいつもと同じ。いいですよ。」
これに似た言葉を別のところでも聞いたことがある。ムーミンママの言葉だ。

人々をくつろがせるほんものの家には、自由な空気が流れている。
そこには安心感と楽しさがあり、子どもたちの心や行動にも、枷をはめる必要がない。
そうして、子どもたちは幸せな時を過ごすのだ。


特別な魔法の鏡ではなくても、鏡というものはそれ自体どこか不思議なところがあるものだ。
鏡の中ではなぜ左右が逆になるのかについても、いまだにはっきりした答がないらしい。

単純に左右逆になっているだけなのか、それ以上のことはないのか....
空間の中のものは逆になるけれど、では時間はどうだろう...?などと考えていくと、鏡の魔力に引き込まれてしまう。

時間が交錯し、古い時間が生きているグリーン・ノウ屋敷では、鏡に映る時間も交錯していても不思議はなさそうだ。
   
posted by Sachiko at 21:12 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン