2021年10月27日

悪魔の娘

グリーン・ノウ物語第5巻「グリーン・ノウの魔女」より

村へ行く途中のメラニーが、ピンとトーリーに声をかけた。あとで手伝ってほしいことがあるという。

「いいわね、あれを持ってくるのよ。」

あれとは本のことか、鏡のことか。
メラニーが戻ってくる前に、二人はモミバヤシへ行った。

家のそばにある小屋に入ってみると、そこには山羊の角を結わえつけた棒があり、その棒には文字が彫りつけてあった。
トーリーがそれを書きとると、二人はグリーン・ノウへ駆け戻った。

オールドノウ夫人は中庭でつぎはぎ細工の掛布団をつくろっていた。

「スーザン(※)のねまきだったきれの部分をとりかえてるんだね。」とトーリーが言った。
(※スーザン:第2巻「グリーン・ノウの煙突」に登場する、19世紀にグリーン・ノウに住んでいた盲目の少女)
トーリーは剥がしたぼろきれを集めて、道端に置かれたごみ箱に入れた。

三人は、トーリーが書き留めた文字のことを考えた。

 ルアリベルナユシトーアフスオフンゴルゴモデンーシールメ

後ろから読んでも意味がはっきりしない。

 メルシーンデモゴルゴンフオスフアートシユナルベリアル

夫人は、最後のベリアルは悪魔サタンの名前のひとつだと言った。つまり、主なるベリアルだ。
さらに、メルシーンも名前で、悪魔の娘、デモゴルゴンというのも、サタンのもうひとつの名前。フォスファーは、サタンのギリシャ語だ。

メルシーン・デモゴルゴン・フォスフアーの頭文字は、M・D・P、メラニー・デリア・パワーズの頭文字と同じだ。
悪魔の娘が、メラニーの秘密の本名だったのだ。

その夜、寝ているトーリーの掛布団が引っ張られた。それにもスーザンのきれが使われていた。

スーザンは鏡を持って外へ行こうとしていた。

「門のところにいる女の人に持っていくの。行かせてよ。・・・あたしのねまきを引っぱらないでよ。」

トーリーは鏡を渡すように言った。

「メルシーン・デモゴルゴン・フォスフアーの名において。」

泣き声がおこり、スーザンは消えた。鏡はトーリーの手に残った。
メラニーは、ごみ箱に入れたきれを使ってスーザンを呼び出したようだ。


今回はスーザンが登場する。
グリーン・ノウでは、訪れる人それぞれに合った出来事が起こる。

トーリーは部屋に吊るした鏡にスーザンが映っているのを見たが、ピンが鏡をのぞき込んでも誰も見えなかった。

この家に過去に住んでいた子どもたちは、オールドノウ家の血を引くトーリーの前にだけ姿を現すのかもしれなかった。
この家が建っていた間のすべての時間はいま同時に存在し、夫人もトーリーも、それを当たり前のように受け入れて親しんでいた。

ピンがアイダやオスカーと楽しんだ夏休みは、オールドノウ夫人は留守にしていて、子どもたちはほとんどの時間を川で過ごした。
あの明るい夏には屋敷の秘密は影をひそめていたようで、過去の子どもたちも現れなかった。

一方、ゴリラのハンノーがグリーン・ノウの森に逃げ込んで自由を味わった三日間は、難民になったピンだけが共有できるものだった。

悪魔は名前を知られると力を失うという。
メラニーの本名を突きとめたので、もう夫人と少年たちのほうが優勢だった。だがまだすべてが終わったわけではなかった....
   
posted by Sachiko at 22:24 | Comment(0) | ルーシー・M・ボストン
2021年10月23日

さらなる災い

グリーン・ノウ物語第5巻「グリーン・ノウの魔女」より

メラニーが放った虫のわざわいは、庭の鳥たちが解決してくれたが、トーリーとピンは二匹の黒猫が雷鳥を狙っているのに気がついた。
一時は追い払ったものの、一羽が殺されてしまった。

猫はメラニーのものに違いなく、少年たちがメラニーの庭を覗き込むと、木のあいだに張られた洗濯ひもに、死んだ鳥たちが下がっていた。

二人はそのことはオールドノウ夫人に言わなかった。
夫人にはもう十分すぎるほどのことが起きていたのだ。

不意にピンが、希望をもたらすあることを思いついた。
日が暮れたあとピンは、かつてゴリラのハンノー(第4巻「グリーン・ノウのお客さま」参照)が自分を救ってくれた木のところへ行って祈った。

「ああ、ハンノー、もういちどだけ出て来ておくれ。」

ピンにとって、ハンノーの思い出は庭じゅうに満ちていた。
そして気がつくと、聞いたことのないような猫の鳴き声とともに、黒い姿が次々と塀を飛び越えて行った。

けれど邪悪な力はまだ去ってはいなかった。オールドノウ夫人は言った。

「むかしから、魔法を使うにはきびしい規則があるのです。ちょうどチェスみたいなものです。もしある駒がとられたら、その駒はもう使えない。
そこでそれをとった駒をとるためにがんばるのです。
うじ虫には鳥、鳥には猫、猫にはハンノー。でも、ピン。もうこれ以上のものはいませんよ。」

ところが二人が果樹園に行くと、そこは蛇だらけになっていた。
これが次のわざわいだ。ピンとトーリーはまた知恵を働かせた。

あのペルシャ鏡で蛇たちの注意を逸らして蛇の穴から取り出したのは、蓋が付いた蛇の卵だった。中には、文字が書かれた蛇の皮が入っていた。

 きたれへび
 とぐろをまけわがつめたきものよ
 なんじがしれるもののなによりてめいず

二人は皮を卵に戻して封をすると、それを川に投げた。
蛇たちは卵を追って川の中を流れていった。

メラニーは気が動転してしまったようだ。
魔法をかける人は、その魔法がだめになっていくとき、すっかりろうばいしてしまうものなのだ。


悪しきものは、最後には自分の足に蹴躓いて倒れることになると言われている。メラニーに関していえば、彼女は最初からどこか抜けたところがあった。

こうしてメラニーは次々と悪質な嫌がらせを仕掛けてきたが、二人の少年はけっしてメラニーと同じ方法では戦わない。

以前、「戦わないヒーロー」シリーズで書いたことがあるように、多くのファンタジーでは、たいてい善玉も悪玉も同じ戦い方をする。
つまり剣を振り回して相手を斬りまくったり、その類のことだ。

けれどここでは違っている。
悪に対するもっとも正しい戦い方は、善を実現することだという。
そのようにピンとトーリーは、よく考えて知恵をはたらかせる。

本来のグリーン・ノウには愛が満ちているのだ。
オールドノウ夫人と少年たちは、互いを愛し、この場所を愛し、庭の生きものたちや、かつてここに生きたものたちを愛している。

その愛の力こそは、悪い魔法が及ばぬところにあり、彼らを力強く助けてくれているに違いなかった。

だがメラニーは敵意を増してきている。
魔法の規則によれば、次の魔法は前のより強くなくてはならない。メラニーはさらに何かたくらんで来ることだろう。
   
posted by Sachiko at 22:45 | Comment(0) | ルーシー・M・ボストン
2021年10月18日

紅葉と初冠雪

昨日は初冠雪のニュースがあり、窓から見える山はうっすら白くなっていた。もうそんな季節なのか....と思う。

一気に秋が深まっていくようで、木の葉が日々色を変えていくのを見るのも楽しい。

先日、雪虫がとてもたくさん飛んでいた。平地での初雪はいつになるだろう。

anzunoha1.jpg

自然界は美しく、人間はその美を愛でる。
そのとき、宇宙の深遠と繋がる。

美は宇宙のイデアであり、あちらとこちらを繋ぐ橋なのだ。

今日美しく色づいた一枚の葉っぱを見た、そのことは実は、それだけでこの人生に意味があった、と言えるほどの驚異ではないのだろうか。

anzunoha2.jpg
   
posted by Sachiko at 22:13 | Comment(2) | 季節・行事
2021年10月15日

秘密の名前

グリーン・ノウ物語第5巻「グリーン・ノウの魔女」より

オールドノウ夫人が花を抱えて庭の散歩から戻ってくると、メラニー・パワーズが門の前を通り、教会墓地のほうへ向かって行くところだった。

ピンとトーリーは、ポープ氏の手伝いから戻ってきた。
屋根裏で、ぼろぼろの古い魔法書から落ちた欠片を探し集めていたのだ。
中には大きなページもあり、そこに書かれていたのは悪魔を小さくする呪文だった。

 シャブリリ
 ブリリ
 リリ
 イリ
 リ

ポープ氏がこれを唱えると、壁の外側を何かがすべり落ちて行くような気がして怖かったと、トーリーが言った。

「・・・ある特別えらい悪魔にだけきくんだって。それがその悪魔の秘密の名まえなんだ。秘密の名まえは魔法の一番のもとだってさ。」

少年たちはあのこうもりの本をオールドノウ夫人に見せた。

「民俗博物館に持って行くべきでしょうね。あそこは魔法使いのものを専門に集めているのよ。いやらしい本ね。でもあの女が来てから、ここはいやらしいものに包囲されているのよ。」

誰かが取りに来たりしないように、少年たちはそれをタンスの引き出しに入れた。

二人が窓にもたれていると、メラニーが植物採集から帰ってくるところが見えた。その時うしろの箪笥の引き出しからは、バタバタと大きな蛾が飛ぶような音が聞こえた。

翌朝、庭ではとんでもないことが起きていた。虫がバラのつぼみを食いやぶり、やがてあたり一面に増えたが、それを目ざしてたくさんの鳥たちがやってきたおかげで、虫はいなくなった。

通りかかった近所の人が、夫人のバラの美しさを褒めた。

-------

「バラ」ということばに、むかしのような意味はなくなってしまっている。
・・・
だがむかしのバラは、いつも愛をあらわすものだった。そして心を喜ばすものはすべてそうなのだが、死んでもまた生まれ出てくる。
花はまさしく匂いの鉢であり、匂いは尊いおくりものだ。

こういう考えを、オールドノウ夫人はじぶんの心の中だけにしまっておいた。

--------

名前というものは重要だ。
ここでは、二つの対照的な名前の話が出てくる。

悪魔は、秘密の名前を呼ばれると小さくなってしまうようだ。
名前を当てると相手の力を奪うという話は、ルンペルシュティルツヒェンなど、古いおとぎ話にも多くある。
あの『ゲド戦記』でも、ものの「まことの名」は重要なテーマだった。

もうひとつはバラの名前だ。

「むかしのバラは、いつも愛をあらわすものだった」

そのように、かつて名前や言葉は、それ自身の本質を表わすもので、だからこそ呪術的な力を持っていたのだろう。

古典文学が持つような力は、現代文学には薄い。
さらに古いメルヒェンや伝説、神話など、時代をさかのぼるほど、言葉は不思議に力強く、魔法そのもののように感じられる。

断片化し記号化した現代の言葉と違って、それらはまだ、創造の根源に近いところにあったのだ。

そしてグリーン・ノウを包囲する邪悪な力は、この後さらに強まっていく....
   
posted by Sachiko at 22:26 | Comment(0) | ルーシー・M・ボストン
2021年10月11日

星々の動きと日々の暮らし

私は占星術には疎いし、日頃あまり気にしているわけではないのだけれど、8月以降6つの惑星が逆行していたそうだ。
逆行と言っても、地球から見た時の動きがそう見えるだけだが。

少し前に冥王星、今日で土星の逆行が終わり、次いで木星、水星、天王星の逆行が終わる。
水星逆行の話はよく聞く。情報やコミュニケーショントラブルが起きやすいという。

もっとも私は日頃からなぜか通信トラブルは多い。
メールや郵便物の未着のほか、ネットの買い物で注文とは違う品(色柄や数量など)が届き、ショップに連絡して交換してもらったことも一度や二度ではない。

ある人が、日常の中で繰り返される小さなパターンは、些細ではあるがそれもカルマの現れなのだと言った。
そんなことも星と関係があるのだろうか?


これも些細なカルマだったのかもしれないけれど、昔はよく、街を歩くと必ず人に道を聞かれるということがあった(今はほとんどなくなった)。

そういう人はけっこう多いらしく、友人にも一人いて、旅先でも道を聞かれると言っていた。
周りに人はたくさん歩いているのに、なぜ...?と。

私も外国ですら道を聞かれたことが二度ある。
あるイベント会場から出ると外にフェンスが並んでいて(出口への誘導のためだったのかもしれない)、出口はどこかな...と思っていたら、近くを歩いていたおじさんから「出口はどこかね?」と聞かれた。

周りにはたくさん地元民が歩いているじゃないか!なぜよりによって明らかに外国人とわかる私に聞くんだ?と、まぁ奇妙なこともあった。
丸顔で害のなさそうな人が聞かれやすいとかいろいろな説があるらしいが、実際のところはわからない。


ここ二、三日は、西空で三日月と金星が近くに見えていた。
この組み合わせはほんとうに美しい。

人間は星々のあいだを通って地上に降りてくる。
ミクロとマクロ、日常の些事と壮大な星の世界が不思議な仕方でつながりあっているとしても不思議ではない。
  
むしろ星々とともに暮らしているという感覚があったなら、地上に埋没することなく、世界を違った目で見られる気がする。
   
posted by Sachiko at 21:48 | Comment(0) | 暮らし