2022年01月20日

「しあわせハンス」

グリムのメルヒェンとしては、日本ではあまりなじみのない話かも知れないけれど、類話は世界中にたくさんある。

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7年間の奉公の年季が明けたハンスは親方に、故郷の母親のもとへ帰りたいと申し出る。親方はよい奉公の給金として、ハンスの頭ほどもある金塊を与えた。

ハンスはそれを布に包んで歩き出すが、金塊が重くてしかたがない。そこへ通りかかった馬に乗った人の言うまま、金塊を馬と取りかえる。

嬉しくなったハンスは馬を速駆けさせて振り落とされてしまう。そこへ牝牛を追うお百姓が通りかかり、馬と牝牛を取りかえようと言う。

ハンスはこれで毎日乳やバターやチーズが手に入ると喜ぶ。ところが曠野の暑さの中、乳を絞ろうとしても牛は乳を出さないばかりか、ハンスの頭を蹴飛ばした。

そこへ屠殺人が手押し車に子豚を乗せて通りかかり、牝牛と子豚を取りかえる。ハンスは何もかも望み通りに行くものだと喜ぶ。

次に、ガチョウを抱えた若い男が道連れになり、ハンスの子豚は近くの村で盗まれたものかもしれないと言う。
若い男は助けてやると言い、ハンスは豚をガチョウと取りかえる。

ハンスは喜んで最後の村を通り抜けると、はさみ砥ぎ屋が立っていた。
砥ぎ屋はこれまでのいきさつを聞くと、幸運のてっぺんにたどり着くには砥ぎ屋にならなくてはいけないと言い、ハンスはガチョウを砥石と取りかえる。

砥ぎ屋はもうひとつおまけだと言って、そこに転がっていた重たい石ころも渡した。
ハンスは石を担いで喜んで歩き出すが、その石の重たいこと!

ハンスが少しやすんで泉で水を飲もうとすると、石は水の中に転げ落ちた。ハンスは邪魔な重たい石がなくなったので嬉しさに躍り上がって神さまにお礼を言った。

何一つ重荷のなくなったハンスは、自分ほどのしあわせ者はいないと思い、踊る足どりで郷里の家に帰り着いた。

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ハンスは持っている物を次々と、より物質的な価値の低いものへと交換していく。この道筋は日本の「わらしべ長者」の逆だ。
そしてその度にハンスの幸福感は高まっていく。

ハンスという名は、日本で言えば「太郎」のように、メルヒェンによく出てくる典型的な名前だ。
そして「まぬけのハンス」などの呼ばれ方をすることが多い。
この『しあわせハンス』(Hans im Glück)のハンスには、妙好人の趣きがある。


ヨハネス・W・シュナイダーの「メルヘンの世界観」の中で、人間の運命を現した三つのメルヘンが挙げられている。
『ホレおばさん』『星の銀貨』、そしてもうひとつがこの『しあわせハンス』だ。

以前にも書いたがシュナイダーは、メルヒェンに出てくる黄金には、世界のはじまりから存在していた黄金と、地上生活を通して新たに紡ぎ出された黄金の二種類あると言っている。

ハンスが奉公の報酬として受け取った金塊は、新しい黄金だ。ハンスはそれを、頭ほどの大きさのあるものとして受け取る。
「頭」には特別な意味があり、頭には前世における行いが現われているのだという。

私は個人的には、この物語に別のイメージを抱いた。
それはまた次回に。
   
posted by Sachiko at 22:30 | Comment(0) | メルヒェン
2022年01月16日

短い静けさの日々

古いテレビがついに壊れた。
地デジに移行する前に、地デジ対応のテレビを買っておこうということで買ったもので、10数年経っているはずだ。

私は今度テレビが壊れたらもう買わないつもりだった。

「テレビがないと時間がゆっくり過ぎるね」と言ったら、
「そんなことはない!」と、我が家のテレビ中毒の輩が禁断症状を起こしたので、結局買ってしまった(>_<)。

全くテレビの音がしない静けさがあったのは、三日間だけだった。
確かに空気が違ったと思う。柔らかく、空間が大きくなっていた。
テレビの音にかき消されていた、家の息遣いが感じられる気がした。

またテレビが来て、設定を終えて試しにつけてみた時に流れていたCMソングが、その後しばらく頭の中をグルグルしていた。こういう現象をディラン効果とかいうそうな。
テレビの策略として、CMソングというのは頭に残りやすく作られている。

昔何かの本に書かれていた「黙っていてもうるさい人というのがいる」という一文を思い出した。
テレビはまさにそれだな、と思う。ついていない時でもうるさい。


テレビのない時代は、人は否応なしに静けさと共存しなければならなかった。
古い歌の一節にこんなのがある。

〜ふるさとの冬はさみしい
 せめてラジオ聞かせたい〜

昔の田舎の冬の静けさは、時に耐えがたいほどだっただろうか。
(田舎の親戚の家には、なぜかどこも大画面のテレビがある。)
現代人の静けさへの耐性の無さは、昔の比ではなさそうだ。

こうして私のテレビなしの暮らしは、またおあずけになった。
新しいテレビは、あと10年くらいは持つだろうな....
   
posted by Sachiko at 21:53 | Comment(0) | 暮らし
2022年01月12日

「かえるの王さま」

魔法で動物の姿に変えられてしまった王子についての話を以前書いた。
「かえるの王さま」の王子はその代表格だ。

KHM(Kinder-und Hausmärchen グリム兄弟の蒐集による「子供と家庭のための童話集」の通し番号)の1番が、この「かえるの王さま」で、番号はほぼ採話順になっている。

悪い魔女によって動物に変えられた王子は、そもそもなぜ、どのようにして魔法にかかってしまったのかは、どの物語でも説明されていない。

ヨハネス・シュナイダーの「メルヘンの世界観」の中では、姿を変えるという魔法は、悪の力から来るものだと言っている。

動物に変えられた姿は、人間が本来あるべき姿から外れてしまったことを示していて、、現代人はこの状態で、それは悪の力という魔法にかけられてしまったためだ。

けれどその力によって姿を変えられたカエルは、それによって善をもたらす行為を成し遂げることができるという。

「悪を統合した人間には威厳がある」というように、悪をくぐり抜けた善には、そうでない場合よりもはるかに力強さを感じる。

いったいここを無事にくぐり抜けられるのか?と思うような時代も、全体を見通している高次元の目から見れば必然的なプロセスで、人間がより強くなって本来の姿に還る未来が見えているのだろう。

それまで金のまりで遊んでいた、子どもと思われる王女が、カエルが王子になったことで結婚に至るほど成熟する。
このパターンは、「雪白とバラ紅」で、熊が王子にもどった時の状況に似ている。
このあたりにも、メルヒェン特有の深い叡智が透けて見える。

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HPに「グリム童話の世界」を追加しました。
https://fairyhillart.net/grimm1.html

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posted by Sachiko at 22:34 | Comment(2) | メルヒェン
2022年01月06日

エピファニー2022

今年もエピファニー。
12聖夜が明けるといつも、特別な時空間を抜けた気分になる。
実際、この時期は天とのあいだの壁が薄くなっているそうだ。

旅のおさらいをしてみよう。

アドベントは、宇宙に鉱物界、植物界、動物界、人間界が現われてくる宇宙進化のプロセスを辿って、聖夜に至る。


クリスマス、魂の深奥で聖なる子どもが誕生する。

霊的な真の自己である“私”という意識をもって人生の責任を引き受ける決意とともに、階梯を上っていく。

愛することと赦すこと、他者への愛と敬意。
“私”という存在に気付き、体験や思いを十字架にかけ、新たな段階に引き上げる。
すべての人は神聖な存在であるという認識、内なるキリストの体験へ。


エピファニー、ヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けたイエスの中にキリストが降臨する。

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である」(マタイ3-17)

クリスマスの物語同様、エピファニーもまた、未来には個々の魂の中で起こるべき出来事なのだろう。

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11月末からの壮大なクリスマスの旅が終わり、今日はツリーを片付けた。
明日で松の内も終わるので、お正月飾りも片づける(日本人なもので....(^^;)

ほんの少し日が長くなり、光にかすかな春を感じるようになっていく。
   
posted by Sachiko at 14:22 | Comment(0) | クリスマス
2022年01月05日

12月に向けて---第十二夜

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シュタイナーが伝えた12夜の話から

最後の聖夜の一歩を踏み出そう。
毎日歩んできたこれらの12の階梯は、次のクリスマスに私たちの存在が新たにされるまで、1年間の各月のテーマとなる。

私たちは自分の内面の在り方を観照してきた。そして自分の中で毎瞬間起こっている様々な動きに対し、さらに意識的になれることを願う。

私たちは、自分の感情がどのように湧き上がるか、放っておけば私たちを押し流してしまうかということを、より意識するようになった。

私たちの心の中を飛び交う思考の幾つかは、衝撃的なものだったかもしれない。それらはいつもそこにあったのに、気づかなかっただけなのだ。
また、行為への衝動がより意識的になり、自分の動機を評価する機会を得たかもしれない。

少なくとも、これらの3つの魂の活動をより意識するようになったなら、私たちは自分の存在の中で最高のもの、すなわち“私”を体験したことになる。

内なる“私”は、私たちに平静と目的を与え、世界や出会うすべての人々との関係のあり方を変えてくれる。
そのような“私”を体験できたとき、すべての人間の中にキリストが見えはじめる。

宇宙のキリストは、イエスという媒介を通してこの地上に降り、この霊は私たちの中に宿っている。
この霊は、主に私たちが呼吸するたびに、また私たちが食べる食物、キリストの体である大地で育まれた食べ物を通して、私たちの中に宿っている。

この現実を受け入れると、私たちは地球の生命力と、自分のエーテル体の中にも、キリストのエーテル存在を体験し始める。

今、私たちはすべての人をキリストであるかのように扱い始める。
否定的な思考は、それが形成される前に阻止する。
なぜなら、その思考がキリストについて考えていることになると知るからだ。

他者の中にいるキリストに敬意を払うからこそ、すべての感情や動機に気をつける。そうすることで、自分自身が変容し、相手も引き上げることができる。

パウロがこう言ったように。
「この奥義は、あなたがたの内にいますキリストであり、栄光の望みである。」(コロサイ1:27)。

もし私たちがこれからの1年間、毎日この神秘を思い起こすことだけをするなら、私たちは世界を変えるだろう。

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12夜の最初と最後は、さらに特別だ。
第1夜は翌年の1月に対応するが、その1月には、8月〜12月に対応する日が含まれている。

第12夜は12月に対応し、その12月には次の年の1〜7月が含まれる。
更に言えば、含まれている1月にはそのまた次の8〜12月が含まれ...と、どこまでも層になり、鏡に映した鏡のように、遥かな過去から未来までの時空が、神秘的に折り重なっている。


今日の話は、この箇所にもつながっている。「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25:40)

福音書を引用するとなんだか説教臭くも見えてしまうけれど、12夜の神秘をたどるのに、外的なキリスト教徒である必要はないと思う。
12夜の神秘は、キリスト教が広まる以前の時代から知られていたのだ。

それは宇宙と地球が織りなす神秘であり、すべての人にとって重要な意味と働きを持つ。
  
posted by Sachiko at 10:46 | Comment(4) | クリスマス