2023年04月30日

キリアン・シェーンベルガー

私の好きなドイツの写真家、キリアン・シェーンベルガー(Kilian Schönberger)

これは365日の日めくりカレンダーで、月と日付しか書かれていないので、毎年、何年でも使える。

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作品はここで見ることができる。
     ↓
http://www.kilianschoenberger.de/


美は、そのもの自体にあるのか、それともそれを見る人の側にあるのか、という古い命題を思い出す。
それらは一方だけでは成り立たず、分けることはできないだろう。
森があっても、それを美しいと見る意識がなければ、森は“美しい森”にならない。


愛する対象は美しい。
風景は褒めると美しくなるという。
山も森も、美を見ようとする人の目には、とびきり美しい姿で現れてくれるにちがいない。
 
posted by Sachiko at 15:08 | Comment(2) | アート
2023年04月25日

絵本《音色に耳をかたむけて》ご案内

HPのトップにリンクを貼ってありますが、こちらで紹介していないという片手落ち...(^^;
この度、絵本を出版いたしました。

《音色に耳をかたむけて》
Clover出版より5月2日発売です。

Amazonで予約受付中。
   ↓
https://www.amazon.co.jp/dp/4867341436

追記:楽天ブックスはこちら
   ↓
https://books.rakuten.co.jp/rb/17479844/?l-id=search-c-item-text-01


ウサギの耳を持つちいさな妖精が、そっと耳をかたむけるものは....

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posted by Sachiko at 14:38 | Comment(2) | 絵本
2023年04月23日

動きの予感

サイトのアクセスが復活した後も、ブログにはほとんど訪問者がいなくなった。
思えば5月で丸5年、そろそろ転機ということかな。

このブログはサーバーのサービスとして付いているので、ブログそのものは無料で、広告も余計な情報も入らない。
何といっても、このようにポツンと一軒家的な静けさが一番のメリットだった。

過去形になっているのは、実はこのブログサービスはすでに2年前に新規登録受付が終了している。
今あるものはそのまま使えるけれど、新規受付が終わったのは、いずれブログサービスそのものをやめる方向にあるということだ。

大手のアメブロの集客力は知っているが、あの広告の多さと余計な情報は耐え難い。
私は別にアフィリエイトで稼ぎたいわけでもなく、ただ静かに書きたいことを書きたいだけなのだ。

色々調べてみても、やはりどこも一長一短ある。
というわけで、今すぐではないにしてもブログは引っ越すかもしれない。あるいはやめて何か別の形を取るとか。

でもたくさんの過去記事は捨てがたいので、ここは、サービス終了になるまでこのまま残しておこうと思う。
  
posted by Sachiko at 15:49 | Comment(2) | 未分類
2023年04月11日

思わぬトラブル

突然ウェブサイトにアクセスできなくなり調べたら、クレジットカードの更新がされていなくて、ドメイン料金未払いのため止められていた。

慌てて支払い、サーバに連絡したところ復活してくれるそうで、でも2、3日かかるとのこと。
とりあえずドメイン再取得ということにならなくてよかった。
思わぬときに思わぬことが起きるものだ。

ブログにはHP経由で来てくださっていた方が多かったようで、今日はめっちゃアクセス少ない。
HPをやめたわけではありませんので、また来てくださいね。(と言っても見ていないか....)
ご迷惑をおかけいたしましたm(_ _)m

※追記:4月12日サイト復旧しました。
posted by Sachiko at 11:04 | Comment(0) | 未分類
2023年04月06日

下方倍音

シュタイナーが語ったこんな話がある。

“今日では人間は物質的にしか音声の中に生きていないが、15世紀までの人間は、下方倍音も正しく聞き取っていた”

“かつては、同じ音が1オクターヴ下で響くように、霊的なものが共鳴した。自分が話すとき、あるいは人が話すのを聞くとき、個々の言語に分化していないもの、人間一般的なものが共鳴した”


『アナスタシアーーロシアの響きわたる杉--』シリーズの中に、それを思い起こさせる記述がある。

アナスタシアは、異なる民族の言語を理解することができる。
言葉を発する人の、言葉の背後にある感情、思い、イメージなどを読み取ることで、相手の言っていることを理解する、という話だ。

これはまさに、“個々の言語に分化する前の霊的なもの”を聞き取っているのだ、と思った。


人類は古い時代からかなり広域での交流を行っていた。
職業通訳などいなかった時代に、言葉をどうしていたのだろうと、私は以前から不思議に思っていた。
この「下方倍音」を聞きとるという話で、いくらか謎が解けた気がする。

現代人がもはや正しく理解することのできない、神話や伝説、メルヒェンの中のイメージ言語は、下方倍音を聞き取る能力によって、霊的な源泉から汲み取られ語られたものなのだろう。

現代語は霊性を失って物質言語と化し、「言葉は単なるコミュニケーションツールにすぎません」と言い切る人も少なくない。

けれど、言葉の背後にある霊性なしには、単なる意味伝達ではない真のコミュニケーションは難しい気がする。
もはや聞こえない下方倍音という共通の泉に安らうことのできる交流は、どんな感じだろうか。
  
posted by Sachiko at 21:19 | Comment(2) | 未分類