シュタイナーが語ったこんな話がある。
“今日では人間は物質的にしか音声の中に生きていないが、15世紀までの人間は、下方倍音も正しく聞き取っていた”
“かつては、同じ音が1オクターヴ下で響くように、霊的なものが共鳴した。自分が話すとき、あるいは人が話すのを聞くとき、個々の言語に分化していないもの、人間一般的なものが共鳴した”
『アナスタシアーーロシアの響きわたる杉--』シリーズの中に、それを思い起こさせる記述がある。
アナスタシアは、異なる民族の言語を理解することができる。
言葉を発する人の、言葉の背後にある感情、思い、イメージなどを読み取ることで、相手の言っていることを理解する、という話だ。
これはまさに、“個々の言語に分化する前の霊的なもの”を聞き取っているのだ、と思った。
人類は古い時代からかなり広域での交流を行っていた。
職業通訳などいなかった時代に、言葉をどうしていたのだろうと、私は以前から不思議に思っていた。
この「下方倍音」を聞きとるという話で、いくらか謎が解けた気がする。
現代人がもはや正しく理解することのできない、神話や伝説、メルヒェンの中のイメージ言語は、下方倍音を聞き取る能力によって、霊的な源泉から汲み取られ語られたものなのだろう。
現代語は霊性を失って物質言語と化し、「言葉は単なるコミュニケーションツールにすぎません」と言い切る人も少なくない。
けれど、言葉の背後にある霊性なしには、単なる意味伝達ではない真のコミュニケーションは難しい気がする。
もはや聞こえない下方倍音という共通の泉に安らうことのできる交流は、どんな感じだろうか。
posted by Sachiko at 21:19
|
Comment(2)
|
未分類