(マーガレット・ワイズ・ブラウン 文 / レミイ・シャーリップ 絵)

これも古典で、この版はすでに絶版になっていて、別の画家による新版が出ているらしいのだが詳細はわからない。
あらすじ
子どもたちが、死んだ鳥が草の上によこたわっているのを見つける。
子どもたちは森におはかを掘り、葉っぱの上に鳥をねかせて、上にも葉っぱをかぶせ、花をかざった。
そしておそうしきの歌をうたいながら土をかぶせ、また花をかざって石を上においた。
「しんだ とり ここに ねむる」
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こどもたちは とりの ことを わすれてしまうまで
まいにち もりへ いって きれいな はなを かざり
うたをうたいました
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子供たちが死んだ鳥を見つけてお葬式をする、たったそれだけの、短いが濃密なお話。
ある年代以上の人かもしれないけれど、子どもの頃に虫や小鳥や金魚など、小さな生きもののお墓を作ったことのある人は少なくないだろう。
今は、都会では土のある場所が少なく、子どもたちが自由に入って地面を掘ることのできる場所はもっと少ない。
けれどそれは体にも心にも刻み込まれる大切な思い出なのだ。
物語の中の子どもたちのように、やがてその小さな生きもののことを忘れてしまったとしても。
ある年の夏休み、蝉の脱皮を見た。
殻の中から、薄みどり色の蝉が出ようとしている。
が......
いつまでたっても蝉はそれ以上動かなかった。
後で知ったが、蝉の羽化は夜明け前に起こるらしい。
その時はすでに日が高く上っていた。
もうすぐ生まれると思って見ていたのは、脱皮に失敗して死んでしまった蝉だったのだ。
私たちは、何ともいえない気分になっていた。
あの蝉をその後どうしたのかは憶えていない。
大人たちが事あるごとに口にする「いのちの大切さ」という慣用句になり形骸化させてしまった言葉より、こうした小さなできごとが重みをもつ。
だからといって大人たちが、小さい生き物のお葬式を体験学習としてプログラムするような馬鹿なことを思いついたりしませんように。そういうことではないのだ。
