2023年07月28日

「ちいさなとりよ」

「ちいさなとりよ」
(マーガレット・ワイズ・ブラウン 文 / レミイ・シャーリップ 絵)

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これも古典で、この版はすでに絶版になっていて、別の画家による新版が出ているらしいのだが詳細はわからない。


あらすじ

子どもたちが、死んだ鳥が草の上によこたわっているのを見つける。

子どもたちは森におはかを掘り、葉っぱの上に鳥をねかせて、上にも葉っぱをかぶせ、花をかざった。

そしておそうしきの歌をうたいながら土をかぶせ、また花をかざって石を上においた。

「しんだ とり ここに ねむる」

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 こどもたちは とりの ことを わすれてしまうまで

 まいにち もりへ いって きれいな はなを かざり

 うたをうたいました

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子供たちが死んだ鳥を見つけてお葬式をする、たったそれだけの、短いが濃密なお話。

ある年代以上の人かもしれないけれど、子どもの頃に虫や小鳥や金魚など、小さな生きもののお墓を作ったことのある人は少なくないだろう。

今は、都会では土のある場所が少なく、子どもたちが自由に入って地面を掘ることのできる場所はもっと少ない。

けれどそれは体にも心にも刻み込まれる大切な思い出なのだ。
物語の中の子どもたちのように、やがてその小さな生きもののことを忘れてしまったとしても。


ある年の夏休み、蝉の脱皮を見た。
殻の中から、薄みどり色の蝉が出ようとしている。
が......

いつまでたっても蝉はそれ以上動かなかった。
後で知ったが、蝉の羽化は夜明け前に起こるらしい。
その時はすでに日が高く上っていた。

もうすぐ生まれると思って見ていたのは、脱皮に失敗して死んでしまった蝉だったのだ。
私たちは、何ともいえない気分になっていた。
あの蝉をその後どうしたのかは憶えていない。


大人たちが事あるごとに口にする「いのちの大切さ」という慣用句になり形骸化させてしまった言葉より、こうした小さなできごとが重みをもつ。

だからといって大人たちが、小さい生き物のお葬式を体験学習としてプログラムするような馬鹿なことを思いついたりしませんように。そういうことではないのだ。

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posted by Sachiko at 16:22 | Comment(2) | 絵本
2023年07月17日

空蝉

以前コエゾゼミのことを書いた時には写真がピンボケだった。
鮮明なのが撮れたので載せておこう。

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場所は某ヒツジ牧場。
柵の周りでは、葉っぱの上や木の枝にたくさんの抜け殻が残っていた。

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空蝉(うつせみ)は夏の季語で、どちらかといえば晩夏を感じさせる言葉だそうだ。
まだ夏休みにもならないのに、もう晩夏か...と思うのだけど、確かに北国の夏は夏至の頃がピークだと感じる。
7月にはラベンダーも枯れて、トンボが飛びはじめ、どこか秋の気配を感じてしまうのだ。


植物のディーバたちは、それぞれが個性的な植物のデザインに大いなる喜びを感じながら携わっているという。

昆虫に対しても同様にちがいない。
背後にいるディーバがどんな思いを込めたのか、コエゾゼミの背中の模様は、「光」という漢字に似て見える。


フィンドホーンの創設者のひとりであるドロシー・マクレーンは、自然界のディーバたちとコンタクトし続けた。

自然界の存在の、外形だけでなくその内なるプロセスに意識を向ける時、より真実に近づくことができると、ディーバは語る。
そうした真実の視点から見たとき、小さな花も虫も動物も、どれほど壮大な背景を分かち合っていることか。

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posted by Sachiko at 22:21 | Comment(2) | 自然
2023年07月02日

ヨモギの話・2

キク科の花は小さな花序がひとつに統合された複合花で、その統合力は人間の精神性に対応する高次の能力だという。

花は人間の魂と深い関わりがあるが、ヨモギは他のキク科の花のような目立った花を咲かせない。
ヨモギの魂は花ではなく葉にあり、花のように香るのは葉で、そこには月の諸力が働いているそうだ。


地球上の植物は、太陽だけでなく月や星々とも深い関係性を持つ。
香りも色も、見えない世界とのつながりや法則性があることを、昔の錬金術師や魔女と呼ばれた賢女たち、シャーマンたちは知っていたはずだ。
日本でもヨモギをモグサとして治療に使ったり、その薬効は古くから知られていた。

現代科学は、全てを切り刻んで「分析」することでわかったつもりになり、全体性との「つながり」を見失った。
しかも対象とするのは物質だけで、背後にある靈的魂的なはたらきは排除されている。


摘み草の楽しみは現代では失われてしまったけれど、香るヨモギの葉を餅などに入れて味わい春を感じることは、無意識的にでも宇宙とつながる喜びだったのだと思う。

季節の巡りとともにそうした暮らしを営む人間には、不思議な魂の安定感があった気がする。
暮らしというものは、本来深く尊かったのだ。
posted by Sachiko at 14:32 | Comment(2) | ハーブ