2023年11月23日

イネ科植物と光

そういえば勤労感謝の日ってそもそも何の祝日だったっけ?と思って調べたら、由来は新嘗祭だった。
聞いたことがあったような気がするが、新穀を神さまにお供えするという本来は大事な祭だったのに、いつしか意味のあやふやなただの休日になってしまっている。

イネ科の植物は光と強い関係性がある。
イネ科の中でも米、麦、トウモロコシなど、食用にされるものは穀物と呼ばれ、世界の広範囲で主食とされている。

人間が食物から受けとるものは、実は物質的成分そのものではなく、その植物の霊性だという。穀物を通して光のはたらきを受け取るのなら、それらがもっとも大切な食物となっていることも頷ける。

そしてどこの民族でも、穀粒を取ったあとの藁でいろいろなものが作られていた。
クリスマスに麦藁細工のオーナメントを飾ったり、お正月に稲藁でできたしめ飾りを飾るのも、光の少ない暗い季節に光を呼び込むような意味があったのだろうか。

昔の人々は、そうした背後にある霊性を感じ取っていたはずだ。
光が糧になり、暮らしの道具になり、特に日本では注連縄など神事に使われるものにもなる。
あまり知られていないが、イネ科には優れた薬効を持つものも多いそうだ。

米という字は八方に光が拡がっているかたちをしていて、これも漢字の妙だ。

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posted by Sachiko at 22:36 | Comment(2) | 自然
2023年11月11日

朝の初雪

冬が好きな人にとっては、朝起きて窓の外を見ると白くなっていた、という喜びには格別なものがある。

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夜中に初雪が降って朝には融けてしまっていたり、みぞれなのに初雪と認定されたり、市内のどこかで降ったらしいが自分のところでは見られなかったりと、モヤッとすることも多いので、今年は初雪をはっきり見ることができてよかった。
気温がまだ高いので、日陰でも午前中には消えてしまったけれど。


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今年のアドベントは12月3日からだ。クリスマスイブが日曜日なので、実質3週間しかない。
それでも雪が降ると、気分はクリスマスに向かう。
家の中も少しずつクリスマスモードになり、神聖な季節を迎える準備が整いはじめる。

宇宙の進化過程をたどるアドベント。黄道十二宮を旅する十二聖夜。毎年大切な時間だ。
地球規模、宇宙規模で、文明の大きな転換期と言われている今年は、いっそう心して過ごすことにしよう。
  
posted by Sachiko at 22:45 | Comment(4) | 季節・行事
2023年11月04日

マイスター・ホラ

ミヒャエル・エンデ『モモ』より。

時間の国にたどり着いたモモが出会ったのは、不思議な人物マイスター・ホラだった。マイスター・ホラは星の時間について語る。

「それはね、あらゆる物体も生物も、はるか天空のかなたの星々にいたるまで、まったく一回きりしか起こり得ないようなやり方で、たがいに働き合うような瞬間のことだ。」

時間は、いのち。
それなら時間の国は、つまりはいのちの国で、マイスター・ホラは人間に“時間”という姿でいのちを配っている。

「もしあたしの心臓がいつか鼓動をやめてしまったらどうなるの?」

「そのときは、おまえじしんの時間もおしまいになる。おまえじしんは、おまえの生きた年月のすべての時間をさかのぼる存在になるのだ。
人生を逆にもどっていって、ずっとまえにくぐった人生への銀の門にさいごにはたどりつく。そしてその門をこんどはまた出て行くのだ。」


このあたりはシュタイナーの思想が色濃く反映されて見える。
人は星々のあいだを通り、太陽を通り月を通って生まれてくる。ある時間、ある特定の場所で生まれる人間はひとりしかいない。たとえ双子でも、時間が少しずれている。
生まれてくることはそれほど特別なことで、まさにひとりひとりが、一回きりの星の時間だ。

そして人は生まれたときの星空をエーテル体に写しとっているという。
誕生日に星空を見上げることができ、自分がどれほど特別な宇宙的存在なのかを思い出すことができたら、その度に新しいいのちを与えられるような気分になれるのではないかと思う。


モモはたずねる。
「あなたは死なの?」

「もし人間が死とはなにかを知っていたら、こわいとは思わなくなるだろうにね。
そして死をおそれないようになれば、生きる時間を人間からぬすむようなことは、だれにもできなくなるはずだ。」

この会話のあと、モモはマイスター・ホラの腕に抱かれて、あの咲いては散る“時間の花”を見る。
どの人間にも、モモが見たような場所がある。でもそこへ行けるのはわたしに抱いてもらえる人だけだ、とマイスター・ホラは言う。

つまり、死の腕に抱かれるときに、ということだろうか。
そのとき、時間=いのちの源で、あの荘厳な時間の花と宇宙の音楽に満たされることができるなら、死は恐ろしくはないだろう。

これが子供の本だって?
そうなのだ。子供は銀の門をくぐってやって来てからそう長い時間が経っていない。星の音楽の響きが、まだかすかに残っているかもしれない。
このような物語から、その響きのひとかけらを大人も思い出す。


ミヒャエル・エンデは『モモ』の挿絵をモーリス・センダックに描いてもらいたがっていたそうだ。でも諸事情で叶わず、結局エンデ本人が描くことになった。
センダックの挿絵はきっとすばらしかっただろうが、今となってはエンデのペン画以外には考えられないくらい物語とひとつになっている。
  
posted by Sachiko at 22:24 | Comment(2) | ファンタジー