2024年03月29日

ホット・クロス・バンズ

今年のイースターは3月31日、久しぶりの3月のイースターだ。
イースター前の聖金曜日の朝に食べるホット・クロス・バンズ、前日に思い出して慌てて焼いた。

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四旬節(イースター前の、日曜日を除いた40日間)には、昔はほぼ断食に近いような厳しい食事の節制があった。

その四旬節が始まる前にパンケーキの日というのがあり、四旬節に入ると食べることができなくなる卵やミルクを使い切ってしまうためにパンケーキを作って食べたことが始まりだと言われている。
その後断食の習慣は廃れ、パンケーキの日だけが残ったとか。

よくある話で、祝祭の食べ物は時間が経つとなぜそれを食べるのかという由来がよくわからなくなって、食べる習慣だけが残ることは多い。

お彼岸のおはぎ、ひな祭りの桜もち、子供の日の柏もち、お月見団子等々。
それでも、ある季節のお祭りにはあるきまった食べ物が出てくること、これは文化だ。そうして思い出も作られる。

そんなわけで、私は季節行事大好きなので(どこの国のであろうと^^ゞ。季節は地球全体に作用する))、今年もホット・クロス・バンズは登場した。

マザーグースの中にホット・クロス・バンズの歌がある。
マザーグースの歌は大抵そうなのだけれど、メロディは何種類かあって確定はしていないようだ。これはそのひとつ。


  
posted by Sachiko at 22:21 | Comment(2) | 季節・行事
2024年03月19日

根開き

雪に覆われていて花も咲かず虫たちもいない冬場は、あまり自然ネタが書けなかった。

木の周りだけが先に雪が融けて丸い窪みができ、早くに土が見えてくるようすを「根開き」というそうだ。
ふだんはほとんど使わない言葉だけれど、俳句の季語にもなっている。

周りよりも濃い木の色が太陽熱を吸収するから、また、温かい地下水を吸い上げているから、などと言われている。

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生きている木ではなくても、家具など木で作られたものには温かみを感じる。何十年も太陽の光を浴びて育った木は太陽の記憶を持っていて、木材になってもその思い出を放射し続けているのだろうか、と思う。

春らしい色彩が戻ってくる前に、こうして春に向かう変化は静かに進んでいく。
写真は昨日のもので、今日は夜の間に雪が降って根元が埋まっていた。雪が舞っていても、どんよりした冬空とは違って春の空は明るい。

この木の根元にはスノードロップの球根が隠れている。土が見えてくる頃には最初の花が見られるだろう。
 
posted by Sachiko at 16:18 | Comment(2) | 自然
2024年03月08日

「森の中の三人の小人」

グリム童話の「森の中の三人の小人」。

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奥さんをなくした男と、ご亭主をなくした女がいました。
それぞれには、娘がひとりいました。
ある時女やもめが男の娘に、このおばさんがお父さんのお嫁さんになりたがっていると伝えるように言いました。

そうして二人はいっしょになりましたが、男の娘は美しく、女の娘は器量が悪かったので、女はしだいにまま娘につらくあたるようになりました。

ある冬の日、女はまま娘に、紙で作った服を着て森でいちごをとってくるように、かごがいっぱいになるまでは帰ってきてはいけないと言いつけ、娘はかたいパンを一つだけ持たされて森へ出かけました。

森に入ると小さな家があり、そこに三人の小人が住んでいました。
娘があいさつをして戸をたたくと、おはいり、という声がしました。

小人たちがパンをわけてほしいと言ったので、娘は小さなパンを半分わけて、ここに来たいきさつを話しました。
小人は娘にほうきを渡し、これで戸口の外の雪をはくようにいいました。

三人の小人は親切な娘におくりものをすることにしました。
ひとりは、娘が日ましに美しくなるように、もうひとりは、娘が口をきくたびに口から金貨が落ちるように、三人目は、どこかの王さまが娘をお妃にするように、と。

娘がほうきで雪をはくと、そこに真っ赤に熟したいちごが出てきました.....
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このあと、いちごを摘んで家に帰った娘が口をきくたびに金貨がこぼれ落ちる。
うらやましくなった実の娘が自分も森に行きたいとせがむので、女は娘に毛皮のコートを着せ、バター付きパンとお菓子を持たせる。

森で、この娘は挨拶もせず小人たちの家に入り、持って来たお菓子もひとりで食べて分けてやらず、ほうきで雪を掃く気もない。

小人たちは、この子が日ましに醜くなるように、口をきくたびにヒキガエルが飛び出すように、不幸な死に方をするようにと、それぞれ贈り物をした。


気だてがよく美しい娘が継母から無理難題を言い渡されるが、超自然的な存在に助けられる。そしてもう一人の娘は真逆の行ないをして真逆の目にあうのは、おとぎ話の典型パターンのひとつだ。

ここまでは「ホレおばさん」と似た筋書きで、冬の森でマツユキソウを採って来るように言いつけられた、マルシャークの「森は生きている」も、同じパターンだ。
類話はヨーロッパのかなり広範囲にわたって伝えられていると思われる。

この話の場合はさらに続きがあり、贈り物の三つめが叶えられて、娘はお妃になり、子どもを産む。
それを聞いた継母とその娘は王様の留守中にお城に入り、お妃をベッドから引きずり出して窓から外の川に放り込み、娘が身代わりにベッドにもぐりこんで...という話が続く。


メルヒェンはとてもシンプルだ。
よい行いにはよい報いがあり、悪い行いには悪い報いがあって、最後には悪事は暴かれ、相応の結果となる。

宇宙から降ろしてきたシンプルな法則は、子どもだけでなくすべての年代の人間に働きかける。
それは、時代によって複雑になったり歪んだりする地上の様相とは別の高みから、魂にまっすぐ射しこむ星の光のようだ。


※グリム童話の全作品を読めるサイトが幾つかあり、これはその一つ
      ↓
https://www.grimmstories.com/ja/grimm_dowa/list

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《森の中の三人の小人》  https://fairyhillart.net/grimm1.html

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posted by Sachiko at 17:39 | Comment(2) | メルヒェン