ヘルマン・ヘッセの「アウグスツス」(“アウグストゥス”と表記したいところだけれど、古い翻訳のままに)。
新潮文庫の『メルヒェン』というアンソロジーに収録されている。
少し長いあらすじ↓
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結婚して間もなく夫を亡くしたエリーザベト夫人は、子供が生まれるのをひとりで待っていた。
隣にはビンスワンゲルという老人が住んでいた。
エリーザベト夫人は生まれた子供に夫と同じアウグスツスと名づけたいと思い、ビンスワンゲルさんに名付け親になってほしいと頼んだ。
二人が教会へ行って子供に洗礼を受けさせたあと、ビンスワンゲルさんは、夫人が子供にとっていちばんよいと思う願いをひとつだけ、家からオルゴールの音が聞こえたら子どもの耳に言えばそれが叶えられると言った。
夫人はその夜、隣の家の美しい音楽が鳴りやむ前に、「みんながお前を愛さずにはいられないように」と願った。
幼いアウグスツスが時々ビンスワンゲルさんの家に行くと、そこでは美しい音楽とともに、小さな天使たちが輝きながら飛びまわっていた。
子どもは大きくなり、誰からも愛されたが、彼を愛する人々には冷淡な態度をとるようになっていた。
やがて首府で大学生になったアウグスツスは、母親の病気の知らせを受けて郷里に戻った。
母親が死んだあと、ビンスワンゲルさんは、もう音楽と小さい天使を見せてやることはできないが、君がいつか孤独な憧れに満ちた心で聴きたいと願えば、また聴くことができる、と言った。
青年は旅立ち、ぜいたくな生活に浸った。
女たちは愛情をこめて彼を取りまき、友人たちは彼に夢中になった。
そしてある時公爵夫人と恋に落ちたが、夫人は夫の元に戻ることを望んだ。
それから彼の幸運は傾きだし、生活は荒れ、受ける資格のない愛に囲まれることに嫌気がさした。
絶望し、毒杯をあおって命を絶とうとした時、ビンスワンゲル老人が訪ねて来た。老人は杯を取り上げて飲み干し、言った。
「君の毒はわしが飲み干してしまった。
お母さんの願いは愚かしいものだったが、わしは叶えてやった。願いは君にとって害になったね・・・」
そして、もうひとつ、生活をよりよく美しくする願いがあったらそれを叶えてあげよう、と言った。
アウグスツスは生活を振り返り、思いをめぐらし、
「ぼくが人々を愛することができるようにしてください!」と願った。
彼が眠りに落ちると、老人は部屋から出て行った。
翌朝からはすべてが逆になっていた。怒った友人たちや女たちがやってきては彼をののしった。警官や弁護士が来て、彼は牢屋に入れられた。
今は憎悪の顔を向ける、かつて彼を愛した人々の中のひとりさえ、彼は愛したことがなかった。
出獄したとき、老いた彼を知る者はなかった。
彼は、何らかの形で人々に役立ち、自分の愛を示すことのできる場所を探すことにきめた。
そして人々が必要とする親切を与え、どんな人の中にも美しいものを見出すようになった。
時が過ぎまた冬が来て、彼がある町の小路に入ると、そこには母の家と名付け親ビンスワンゲルの家があった。
老人が彼を迎え入れた部屋には暖炉の火が燃えていた。
美しい音楽が響き、小さい輝く天使たちが踊っていた。
彼は母に呼ばれたような気がしたが、あまりに疲れていた......
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愛されるより愛することを、という聖フランチェスコの言葉を思い起こさせる。
すべての人がアウグスツスに愛を向けたが、彼はそのうちのひとりの愛も受け取らなかった、つまり愛することができないだけでなく、愛されることもできなかったのだ。
ほんとうに愛することと、ほんとうに愛を受けとること。
この世で真に実現することは多くはないのかもしれないけれど、それらはひとつのことだ。
別の作品の中で、ヘッセは主人公にこう言わせている。
「自分の人生は与えるより受けとることのほうが多かった」
これを読んだ時は、ヘッセ自身がそう感じていたのだという気がした。
見返りなしに愛する時、その人自身が愛で満たされ、その愛が人々を惹きつける。これはもうマザーテレサの領域で、凡人には計り知れないけれど。
「アウグスツス」は1913年に書かれたもので、その翌年に第一次世界大戦がはじまった。この戦争を境にヘッセの作風は大きく変化する。
ところで戦争中、平和主義だったヘッセは軍に目を付けられ、監視され尾行されていたのだが、戦争が終わるまで本人はそのことに気が付いていなかった、という話がある。
物語に戻ると、不思議なビンスワンゲルさんは、アウグスツスが生まれる前から老人で、彼が年老いて郷里に戻ってきた時も昔と変わらない様子で彼を迎えた。
家の中には暖炉の火が燃え、オルゴールの音楽が響き、小さな天使たちが踊っている。
何とも魅力的なこの小さな家は、たとえ人がこの世を生きるうちに忘れ去ったとしても、憧れに満ちて帰りたいと願えば帰り着くことのできる、最も深奥にある魂の故郷のようだ。
2024年04月22日
アウグスツス
posted by Sachiko at 21:59
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| ヘルマン・ヘッセ
2024年04月11日
季節の環
約束どおり、毎年巡って来る春。
同じように見えて、同じ春ではない。
ある日最初の花が咲き、最後の雪が消え、最初の蝶が飛ぶ。


近年は気温が不安定に乱高下し、四季の巡りはどうなってしまうのだろう?と思う時もあるけれど、自然霊たちはせいいっぱい彼らの仕事をしている。
そうして花を咲かせ、蝶を羽ばたかせ、木々の新芽を膨らませ、大地から沸き立つような春の気分を空間に送り出す。
それらは毎年忘れずに手渡される贈り物だ。
人間もいっぱいの感謝を持って受けとらなければならないと思う。
人間界で何が起きても起きなくても、地球自然界は春を巡らせてくれる。
見ている間にも伸びているのではないかと思うほど、チューリップの芽はあっという間に葉っぱのかたちになっている。
オーラのように渦を巻いて上昇する光をまとっているのが感じられるほどだ。



同じように見えて、同じ春ではない。
ある日最初の花が咲き、最後の雪が消え、最初の蝶が飛ぶ。


近年は気温が不安定に乱高下し、四季の巡りはどうなってしまうのだろう?と思う時もあるけれど、自然霊たちはせいいっぱい彼らの仕事をしている。
そうして花を咲かせ、蝶を羽ばたかせ、木々の新芽を膨らませ、大地から沸き立つような春の気分を空間に送り出す。
それらは毎年忘れずに手渡される贈り物だ。
人間もいっぱいの感謝を持って受けとらなければならないと思う。
人間界で何が起きても起きなくても、地球自然界は春を巡らせてくれる。
見ている間にも伸びているのではないかと思うほど、チューリップの芽はあっという間に葉っぱのかたちになっている。
オーラのように渦を巻いて上昇する光をまとっているのが感じられるほどだ。



posted by Sachiko at 21:32
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| 自然