2024年06月28日

さらさら川

「リビイが見た木の妖精」(ルーシー・M・ボストン)より。

リビイは、ジューリアさんの犬“くものす”のあとについて川へ向かう。
その場所は、幹線道路から少しはずれただけとは思えない美しい田園で、リビイにとっては何もかもが、初めて見るもののようだった。

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光はあくまで澄んでいて、谷のむこうがわのすみずみまで、はっきりみえるほどでした。そこに立っている木は、いままで人間の手で刈りこまれてぶかっこうになったことはありません。一本一本の木が、それぞれのいちばん美しいすがたに枝をひろげています。

ここの生垣は、そこに一度根をおろせば、どんな植物でも、たとえば、ジギタリス、スイカズラ、野バラ、ホップ、サクラソウ、シダなどがそだつ、特別なかくれがなのです。
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このような場所を、さらさら川は流れている。
周りの風景は『グリーン・ノウの川』を思わせるが、さらさら川自体はそれより小さな川のようだ。
流れは小さな滝を作り、渦を巻き、きらめき、歌う。

突然太陽が隠れて、雨が降りだした。
リビイは家に向かい、くものすは石をくわえてついてくる。
ジューリアさんによれば、三色スミレの花壇の周りに並べる石を、くものすが集めてくるのだそうだ。


リビイはこの天国のような田園の美しさを味わった。
『グリーン・ノウの川』に登場する子供たちも、川とその周りの世界を存分に楽しみ、味わいつくしていた。

それはまさに、ルーシー・M・ボストン自身の内なる子供心が、齢を経ても失われることのないみずみずしさをもって、この世界の美しさを見ていたのだろう。

ほんの短い文章の中で、田園の景色、植物の香りや川の流れる音までも、実際にそこにいるかのように、そしてそうしようと思えばいつでもその場所に戻れるかのように、生き生きと感じられるのがこの物語の不思議さなのだ。
 
posted by Sachiko at 22:14 | Comment(4) | ルーシー・M・ボストン
2024年06月20日

ジューリアさんの家

「リビイが見た木の妖精」(ルーシー・M・ボストン)より。

リビイが目を覚ましたのは、天蓋付きのベッドで、麻のカーテンには木の幹と葉っぱのもようがついていた。

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朝の空気にカーテンがそよぐと、木々もそよぎ、葉は、さざ波のようにゆれました。一瞬、女の子の顔が、木の間から、のぞいたような気がしました。
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その小さな部屋の窓にも同じ柄のカーテンがかかっていて、窓から見えるのは木立ちと草地、森と山、聞こえるのは水の音と鳥の声、そしてかぐわしい空気....

これだけで、どんなにすばらしいところにやってきたかがわかる。
芝生の上にいた犬が入ってきて、リビイを誘った。

ワンフロアにすべてが収まっている現代的なリビイの家と違って、ジューリアさんの家はとても古く、余分な隅っこや窪みがあちこちにあり、ドアの大きさもいろいろで、ドアの向こうが何なのか見当がつかない。


この家は、まさにグリーン・ノウ.....ルーシー・M・ボストンが住んでいたマナーハウスそのものだ。

家という時空は、住む人にとっては拡大した体のようなものではないかと思う。家のようすを見ると、住人について多くのことがわかる。
ジューリアさんの家は、無駄を省いて合理的な現代の家とは違い、どこか秘密に満ちている。
物語が浸透している古い田舎家は、それ自体生命を持っている。

犬に先導されて行った朝食の間は、とうていリビイひとりでは見つけられないところにあった。
犬の名前は“くものす”で、窓から見えた川は“さらさら川”という名前だと、ジューリアさんが言った。

リビイは、朝ごはんがすんだらジューリアさんと“くものす”といっしょに、川へ散歩に行くことになった。


話が飛ぶが、昔何かで読んだあるインターナショナルスクールの話。
校舎のあちこちに、一見ムダに見えるような隅っこやへこみがわざと作られている。こういうところに思い出が溜まるのだ、ということだった。

合理性という光に照らされきらない翳り、そういう場所に、見えきらない何かがひそむ。
異世界に通じる小道のように。
 
posted by Sachiko at 22:05 | Comment(0) | ルーシー・M・ボストン
2024年06月14日

「リビイが見た木の妖精」ふたたび

ルーシー・M・ボストンの作品として最初に紹介したのが、「リビイが見た木の妖精」だった。
特別に思い入れのある作品なので、思えば一回でサラっと終わらせてしまったのはもったいなかった。もう少し入り込んでみることにしよう。
何といっても、すばらしくみずみずしい、美しい物語なのだから。

岩波少年文庫の旧版はとっくに絶版になっていて、一度新装版が出たけれどそれも今は手に入らないようで、古本はプレミア価格になっている。


物語は、少女リビイが6月のハーフ・ターム(学期の間の短い休み)をどこで過ごすのか、という話から始まる。
両親の仕事の都合で全く気に入らないおばさんの家に行かなければならないところを、ちょうど家に来ていた若い画家のジューリアさんが、自分のところに来るようにと言って救ってくれたのだ。

ジューリアさんについてはこのように書かれている。
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リビイのような、小さい人にも、対等の人間として、さりげなく親切にしてくれますが、それ以上のおせっかいは、やきません。
また、だれかに会えばその人がどんな人かすぐ正しく感じ取ることができますが、それを決していう人ではありません。
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このジューリアさんは、どこか『グリーン・ノウ物語』のオールドノウ夫人の若い頃、つまりは作者ルーシーの若い頃はこんなふうではなかったか、と想像させる。

「いっしょにあそべる子どもはいないけど、家のそばには、川があるの。
それが、とてもいいお友だちなのよ。それからね、犬がいるわ。」

その日の午後、リビイはジューリアさんの車で出発した。

道のりは長く、最初はわくわくしていたリビイもしだいに退屈になってしまった。
暗くなった頃、窓から今までとは違った大地の香りが入ってきた。
家に着いたときには、リビイはもう眠くて何もわからないままベッドに運ばれ、そのまま眠りつづけた。
そうして翌朝目覚める頃から、すでにすばらしいことの予感がしている。

ジューリアさんの家も、近くを流れる川も、あのグリーン・ノウ屋敷と周辺の景色を思わせる。
それならもちろん、どんな不思議なことも起こり得る。
このあたりですでに物語の中から、田園の香しい空気と生き生きとした自然の美しさが迫ってくる感じなのだ.....
 
posted by Sachiko at 22:18 | Comment(0) | ルーシー・M・ボストン