2024年08月30日

鏡の庭

「リビイが見た木の妖精」(ルーシー・M・ボストン)より。

さらさら川は水量を増して急流に変わり、川べりの大きな木は、水流によって根があらわになって強い風が吹けば倒れそうだった。
家のそばでは、芝生の下から水が上がってきて、庭は少しずつ水の下に沈んでいった。

この「鏡の庭」という章は、もしも書かれているままにその映像を思い描くことができるなら、物語の中でも特に神秘的で美しい。

ジューリアさんが、思い切り遊べるように家に入って洋服を脱ぎなさいと言ったので、リビイはビー玉の首飾りのほかは何も身に着けずに庭に出てきた。
三色すみれの花壇は水に沈み、枝を伸ばしたバラが水に映っている。

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あらゆるものが影を落としている庭なら、美しさは、ちょうど二倍になるはずだ、とリビイは思いました。
それに、とても不思議なことに、鳥は魚に見えるのです。
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石垣に腰かけて、水に映る自分の姿を見ていると、緑のビー玉は糸にぶらさがって、まえのほうにゆれ、もうすこしで、その影にふれそうになりました。
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リビイは水の中から野イチゴを見つけてジューリアさんに知らせた。
ジューリアさんから渡された陶製のかごにいっぱいイチゴを摘みながら、おとぎの国のようになった世界を見わたす。

リビイは家に戻り、イチゴは砂糖とクリームをかけて、スコーンといっしょにお茶の時間に食べることになった。


水に映った景色は、ただ逆さまになっているだけなのに、神秘的で特別な美しさを見せる。

家の周りで起こる洪水の話は『グリーン・ノウの子どもたち』でも出てくる。『グリーン・ノウの川』でも、子どもたちは、水が鏡のように静かになった場所で、楽しい時を過ごす。

それらはルーシー・M・ボストンがマナーハウスに住んで実際に体験したことなのだ。


私は子どもの頃、水に映った景色が大好きだった。
雨あがりの水たまりを覗きこんだときの、逆さまになった世界の不思議さ。家や木々や水の中の太陽も、すべて少し青みがかって、どこか日常とは違う場所のように見える。

緑色のビー玉だけを身につけたリビイは、いつもと違った姿を見せる庭で、妖精のように遊ぶ。しあわせな時間。

子どもの頃には、不思議で美しいものは至るところにあり、それは別の世界への扉のようだった。
 
  
posted by Sachiko at 22:15 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン
2024年08月15日

自然音の不思議

昨夜、虫の音を聴きに外へ出てみた。
雨あがりの草の上や、伸びすぎたアスパラガスのレースのような葉っぱには、たくさんの小さな水滴がキラキラと光っている。

あちこちの草むらから、数種類の虫の声が響き合う。
いつまでも聴いていたくなる、何と心地よく美しい音色♪

鳴く虫は姿を見つけにくく、名前もわからない。
リーリリリーときれいな音が聞こえるのだけど、北海道にはスズムシはいないと言われているしこれは何の虫だろう。

虫の音が心地よい音色として聞こえるのは日本人とポリネシア人だけだそうで、他の人々には騒音のようにしか聞こえないというのがどうも不思議だ。

欧米人などは右脳で聞くのに対し、日本人は左脳で言葉として聞くからだというのだが、右脳(音楽脳)で聞くなら、美しい音楽として聞こえてもよさそうなものを。


虫の声だけでなく、川のせせらぎや葉擦れの音、雨の音などの自然音も同様なのだという。せせらぎの音をじっと聴いていると、何かの言葉に聞こえてくる。
日本人はそれらの音を言葉として聞くということは、雨や風とも会話ができるのだ。
もっとも最近では、蛙の声がうるさいから田んぼを潰せなどと言う理不尽なクレーマーも現れているらしい。

ところで私は、最近の花火大会が音楽やレーザーアートとコラボしているのがどうにも違和感がある。
花火の背景の闇、花火と花火の“間”の静寂。それらが消されてしまっているのが、なにか不穏な意図に感じられてしまう。

あの闇と静寂は、あってはいけない、埋め尽くさなければいけないものなのか?
自然音はむしろ、闇や静寂に近いところにあるもののような気がする。
だから、暗闇や静けさを恐れる現代人は、しだいに自然音をも怖れるようになってしまったのだろうか。

今日は久しぶりに蝉の声を聞いた。
昔は朝から聞こえていたこの夏の音は、今では郊外へ行かなければ聞くことができなくなっている。
 
posted by Sachiko at 16:37 | Comment(2) | 自然
2024年08月04日

ドリュアース

「リビイが見た木の妖精」(ルーシー・M・ボストン)より。

夜になって雨は激しさを増し、リビイは樹のもようのカーテンに囲まれたベッドの中で雨の音に耳を傾ける。

木に当たる雨の音、屋根に当たる太鼓のような音、雨樋の中でゴボゴボいう音、用水桶に滝のように落ちる音、そして、さらさら川がさざめく音....

枝から落ちるしずくの一滴とはまったく違う激しい雨の描写は、まるでそれらの音がリアルに聞こえるようだ。


朝になり、リビイはジューリアさんとくものすと川を見に行った。
くものすは川べりのりっぱな木のうねった幹に登って、また降りてきた。
家に戻ると、朝食の部屋に置かれているたくさんの品々が目に入る。

マントルピースに置かれたふたつの陶製の置きものが、リビイの目を引いた。
それは、割れた木の幹から女の子の半身がのぞいているもので、リビイがここに来た朝、カーテンのもようの中に一瞬見た少女の顔に似ていた。

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「・・・あの子たちはなあに?」
「ごしょうかい、いたします。ドリュアース、こちらはリビイ。
リビイ、ドリュアースですよ。」
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ジューリアさんは、陶器のドリュアースをリビイにきちんと紹介してくれた。ドリュアースは木に住んでいる木の精だ。

リビイが子どもだからといって、いかにも子供向けの態度をとるのではなく、まるで大人同士を紹介するような礼儀をもってドリュアースを紹介した時のジューリアさんは“ほんとうの大人”に見える。

ジューリアさんは本もののドリュアースの存在を知っていて、ひょっとしたら会ったことがあるのだろうか?
本ものの田園ではどんな不思議なことでも自由に想像できるのが、田園のすばらしさだという。

「ここは、ほんものの田園よ。」

ほんとうに、この田園とジューリアさんの家では、何もかもが本ものの輝きを持っているように見える。
リビイが泊まっている部屋は、《ドリュアースの間》という名前だそうだ。
こうして物語の中では、田園の不思議さとともに、ドリュアースの気配がただよい始める。
 
posted by Sachiko at 21:47 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン