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「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐ行こうと言ったんです。」
「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまえが会うどんなひとでも、みんななんべんもおまえといっしょにりんごをたべたり汽車に乗ったりしたのだ。
だからやっぱりおまえはさっき考えたように、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなといっしょに早くそこに行くがいい。そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。」
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みんなのほんとうの幸福はなんだろう、とジョバンニは思い、それをさがしにどこまでもいっしょに行こうと言ったカムパネルラはいなくなってしまった。
そこに現れた不思議な大人が語る言葉は、この世の時空も生も死も超えたところのことを話しているようだ。
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「ああ、ぼくはきっとそうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいいでしょう。」
「ああわたくしもそれをもとめている。おまえはおまえの切符をしっかり持っておいで。
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汽車の中で車掌が切符を確かめに来たとき、ジョバンニがあわててポケットを探ると緑色の紙が入っていた。
何だかわからないままそれを車掌に渡すと、車掌はそれを承認したようでそのままジョバンニに返してくれた。鳥捕りがそれを見て言った。
「こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ」
天上すらも超越したような不思議な切符。
どうやら「みんなのほんとうの幸福」を求める旅に必要な、大事な切符らしい。
鳥捕りとの話の中でも、ジョバンニはほんとうの幸福のことを考える。
・・・もうこの人のほんとうの幸いになるなら、自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいという気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。
ほんとうにあなたのほしいものはいったいなんですか、と訊こうとして、それではあんまりだしぬけだから、どうしようかと考えて振り返ってみましたら、そこにはもうあの鳥捕りがいませんでした・・・
あなたのほんとうの幸いは何か、ほんとうにほしいものはいったい何か、と訊かれたら、多くの人は何と答えるだろうか。
“ほんとう”の奥の奥の願いに、なかなかたどり着けないかもしれない。
「おまえはおまえの切符をしっかり持っておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。」
そしてこの後に、化学や地理や歴史の話が続いていく.....
2025年10月29日
ブルカニロ博士・2
posted by Sachiko at 22:01
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| 宮澤賢治
2025年10月17日
ブルカニロ博士・1
『銀河鉄道の夜』は宮澤賢治本人によって何度か改稿されていて、今出回っている本の多くは第四次稿だ。
ブルカニロ博士は、そのひとつ前の第三次稿にだけ登場する。
私の手元には『銀河鉄道の夜』が収録された本が三冊あり、その中の、高校生の時に買った一番古い本に第三次稿が入っている。
「カムパネルラ、ぼくたちいっしょに行こうねえ。」
ジョバンニがそう言って振り返ると、もうカムパネルラの姿はなく、ジョバンニははげしく泣きだす。
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もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。
ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。
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第四次稿でこのように書かれている二行のあいだに、古い稿ではブルカニロ博士との対話が入る。
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「おまえはいったい何を泣いているの。ちょっとこっちをごらん。」いままでたびたび聞こえた、あのやさしいセロのような声が、ジョバンニのうしろから聞こえました....
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セロのような声が最初に登場するのは、『銀河ステーション』の章だ。
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「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが言いました。
するとちょうど、それに返事をするように、どこか遠くの遠くのもやのもやの中から、セロのようなごうごうした声が聞こえてきました。
「ここの汽車は、スティームや電気でうごいていない。ただうごくようにきまっているからうごいているのだ。ごとごと音をたてていると、そうおまえたちは思っているけれども、それはいままで音を立てる汽車にばかりなれているためなのだ。」
「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた。」
「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。」
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銀河鉄道は何らかの動力ではなく「ただうごくようにきまっているから」、つまり宇宙の摂理のようなもので動いている。
そしてこのセロのような声を、ジョバンニもカムパネルラも、銀河鉄道に乗るまえに、何度も聞いているらしい。
しかも、林の中や川という少年たちの日常の景色の中で、セロのような声が響いていたという、なんとも不思議な話だ。
その声が、カムパネルラを見失ったあとのジョバンニにまた語りかけてくる。
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さっきまでカムパネルラがすわっていた席に黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせたおとなが、やさしくわらって大きな一冊の本をもっていました。
「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
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今度は声だけでなく、姿かたちのある人物が現われる。
その人はジョバンニのこともカムパネルラのこともよく知っているようなのだ。
このあと、その人はほんとうの幸福について、そして長い時を超えた地理や歴史について語り始める。
それは地球の時空を上から眺めているかのような深い印象を受ける話なのだけれど、この部分についてはまた次回に。
ブルカニロ博士は、そのひとつ前の第三次稿にだけ登場する。
私の手元には『銀河鉄道の夜』が収録された本が三冊あり、その中の、高校生の時に買った一番古い本に第三次稿が入っている。
「カムパネルラ、ぼくたちいっしょに行こうねえ。」
ジョバンニがそう言って振り返ると、もうカムパネルラの姿はなく、ジョバンニははげしく泣きだす。
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もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。
ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。
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第四次稿でこのように書かれている二行のあいだに、古い稿ではブルカニロ博士との対話が入る。
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「おまえはいったい何を泣いているの。ちょっとこっちをごらん。」いままでたびたび聞こえた、あのやさしいセロのような声が、ジョバンニのうしろから聞こえました....
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セロのような声が最初に登場するのは、『銀河ステーション』の章だ。
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「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが言いました。
するとちょうど、それに返事をするように、どこか遠くの遠くのもやのもやの中から、セロのようなごうごうした声が聞こえてきました。
「ここの汽車は、スティームや電気でうごいていない。ただうごくようにきまっているからうごいているのだ。ごとごと音をたてていると、そうおまえたちは思っているけれども、それはいままで音を立てる汽車にばかりなれているためなのだ。」
「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた。」
「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。」
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銀河鉄道は何らかの動力ではなく「ただうごくようにきまっているから」、つまり宇宙の摂理のようなもので動いている。
そしてこのセロのような声を、ジョバンニもカムパネルラも、銀河鉄道に乗るまえに、何度も聞いているらしい。
しかも、林の中や川という少年たちの日常の景色の中で、セロのような声が響いていたという、なんとも不思議な話だ。
その声が、カムパネルラを見失ったあとのジョバンニにまた語りかけてくる。
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さっきまでカムパネルラがすわっていた席に黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせたおとなが、やさしくわらって大きな一冊の本をもっていました。
「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
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今度は声だけでなく、姿かたちのある人物が現われる。
その人はジョバンニのこともカムパネルラのこともよく知っているようなのだ。
このあと、その人はほんとうの幸福について、そして長い時を超えた地理や歴史について語り始める。
それは地球の時空を上から眺めているかのような深い印象を受ける話なのだけれど、この部分についてはまた次回に。
posted by Sachiko at 22:23
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| 宮澤賢治
2025年10月04日
「兄と妹」
グリム童話『兄と妹』(Brüderchen und Schwesterchen)
日本では兄と妹と訳されているけれど、どちらが年上なのかは明記されていないので、海外の絵本や演劇では「姉と弟」という描写になっていることもある。
きょうだいのどちらが年上なのか定かではないというのは、日本人の感覚としてはどうもモヤモヤする。
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「お母さんが亡くなってから、僕たちはちっとも幸せじゃないね」
兄は妹の手をとって言いました。
二人は継母につらく当たられ、ろくに食べるものももらえなかったのです。
二人は家を出て歩きつづけました。兄はのどがかわいてたまらず、泉をさがしました。しかし悪い継母は魔女で、子どもたちの後をつけ、泉に魔法をかけていたのでした。
妹には、その水を飲むと獣になってしまうという泉のささやく声が聞こえたので、兄を止めました。
三つ目の泉に来たとき、妹は「私の水を飲む者はシカになる」という声を聞き「お兄ちゃん、飲まないで。さもないとシカになって逃げてしまうわ」と言いましたが、兄は聞かずに水に口をつけたとたん、子鹿の姿になっていました。
妹はシカを連れて森の奥へ進み、空家をみつけてしばらくそこで暮らしました。
あるときこの国の王さまがこの森で大がかりな狩りを催しました・・・・
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この物語には典型的なメルヒェンの要素がいっぱい詰まっている。
悪い魔女と子どもたちの受難、魔法で動物の姿に変えられること、王さまが現れて娘と結婚、魔女の娘が偽のお妃になりすます、“三度”の繰り返し、やがて真実が明らかになり魔女は罰を受けて死に、魔法が解ける.....
王さまがやって来た時、妹は結婚できる年齢になっている。兄妹はどのくらいのあいだ森で暮らしていたのか...などと考えるのは野暮というもの。
メルヒェンの時間はこの世の時計では計れない。そこには別次元の基準がある。
メルヒェンのヒロインも、王様や王子様も、この世の人間ではなく、宇宙の基準に従う深い魂のエレメントで、ゆえに時代や民族を超えた普遍性を持つ・・・などという解釈もまた野暮だろう。
ただこの彩り豊かなメルヒェンを楽しもう。
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『兄と妹』 https://fairyhillart.net/grimm1.html

日本では兄と妹と訳されているけれど、どちらが年上なのかは明記されていないので、海外の絵本や演劇では「姉と弟」という描写になっていることもある。
きょうだいのどちらが年上なのか定かではないというのは、日本人の感覚としてはどうもモヤモヤする。
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「お母さんが亡くなってから、僕たちはちっとも幸せじゃないね」
兄は妹の手をとって言いました。
二人は継母につらく当たられ、ろくに食べるものももらえなかったのです。
二人は家を出て歩きつづけました。兄はのどがかわいてたまらず、泉をさがしました。しかし悪い継母は魔女で、子どもたちの後をつけ、泉に魔法をかけていたのでした。
妹には、その水を飲むと獣になってしまうという泉のささやく声が聞こえたので、兄を止めました。
三つ目の泉に来たとき、妹は「私の水を飲む者はシカになる」という声を聞き「お兄ちゃん、飲まないで。さもないとシカになって逃げてしまうわ」と言いましたが、兄は聞かずに水に口をつけたとたん、子鹿の姿になっていました。
妹はシカを連れて森の奥へ進み、空家をみつけてしばらくそこで暮らしました。
あるときこの国の王さまがこの森で大がかりな狩りを催しました・・・・
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この物語には典型的なメルヒェンの要素がいっぱい詰まっている。
悪い魔女と子どもたちの受難、魔法で動物の姿に変えられること、王さまが現れて娘と結婚、魔女の娘が偽のお妃になりすます、“三度”の繰り返し、やがて真実が明らかになり魔女は罰を受けて死に、魔法が解ける.....
王さまがやって来た時、妹は結婚できる年齢になっている。兄妹はどのくらいのあいだ森で暮らしていたのか...などと考えるのは野暮というもの。
メルヒェンの時間はこの世の時計では計れない。そこには別次元の基準がある。
メルヒェンのヒロインも、王様や王子様も、この世の人間ではなく、宇宙の基準に従う深い魂のエレメントで、ゆえに時代や民族を超えた普遍性を持つ・・・などという解釈もまた野暮だろう。
ただこの彩り豊かなメルヒェンを楽しもう。
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『兄と妹』 https://fairyhillart.net/grimm1.html
posted by Sachiko at 22:23
| Comment(2)
| メルヒェン