先日の東北の地震で、空家が倒壊したニュースを見て、宮澤賢治の「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」を思い出した。
人が住まなくなった家は脆くなる。
家にはたしかに、家の気、家の魂というようなものがあるのだ。
ざしき童子もそのように、古い家に棲む「気」の存在のひとつなのだろうか。
「ざしき童子のはなし」は、土地に伝わる幾つかの話が集められている。
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ちやうど十人の子供らが、両手をつないで円くなり、ぐるぐるぐるぐる、座敷のなかをまはつてゐました。
ぐるぐるぐるぐる、まはつてあそんで居りました。
そしたらいつか、十一人になりました。
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萩尾望都さんの「11人いる!」は、この話からインスパイアされたものだと聞いたことがある。
コミックつながりでもうひとつ、吉田秋生さんの「ざしきわらし」という短編がある。
ひろし少年は毎年お盆に母方の田舎に帰省するのがならわしで、土地の子どもたちとも仲よくなっていた。
ある年、浴衣に下駄という姿の、見たことのない子に会った。
その子も含め数人の友だちを連れて家に戻ると、お母さんがスイカを切ってくれたが....
子どもたちは、一個足りないという。お母さんはちゃんと人数分切ったという。
ひろし少年は、おとなにはこの子が見えないのだと気づき、おばあちゃんに話すと、それはざしきわらしだと言われる。
時が経って大人になったひろしは、妻と息子を連れて久しぶりに田舎に帰る。雑木林も川も、昔のままだった。
息子は友だちになった数人の子どもたちを連れて家に戻ってきた。
妻がスイカを出すと、「おかあさん、いっこたりないよ」と言われる。
ひろしはハッと気づいて、もう一切れスイカを持っていき、見えない子どもに声をかける。
「よく来たね」
このへんで元の話に戻ろう。
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ひとりも知らない顔がなく、ひとりもおんなじ顔がなく、それでもやつぱり、どう数へても十一人だけ居りました。その増えた一人がざしきぼつこなのだぞと、大人が出てきて云ひました。
けれどもだれが増えたのか、とにかくみんな、自分だけは、何だつてざしきぼつこだないと、一生けん命眼を張つて、きちんと座つて降りました。
こんなのがざしきぼつこです。
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十人の子供がいつの間にか十一人になっているこの話が、中でも不思議で、昔の仄暗い田舎家の空気感を思い起こさせて何とも魅力的なのだった。
2022年03月18日
「ざしき童子のはなし」
posted by Sachiko at 22:24
| Comment(2)
| 宮澤賢治
「ざしき童子のはなし」
だいすきです。
(この間再読したばかり)
ざしき童子に
会ってみたいと
思うのですが、
実は
それとは知らず
会っていたかもしれない
と思ったりもします。
古い家は少なくなってしまいましたが、
家はたしかに生きもので、
心をすませば、家の精が息づいているのを
感じられる気がします。
それはどこか、ざしき童子に似たものかも
しれません。