物語の中で、最初に灰色の男たちに捕えられたのが床屋のフージー氏だ。
ある雨の日、フージー氏は不意に自分の人生に疑いを持ち始める。
仕事はそれなりに楽しく、お客とのおしゃべりも嫌いではなかったのに。
「おれはなにものになれた?たかがけちな床屋じゃないか。もしもちゃんとしたくらしができてたら、いまとはぜんぜんちがう人間になってたろうになあ!・・・そんなくらしをするには、おれの仕事じゃ時間のゆとりがなさすぎる。」
そのとき店の前に車がとまり、灰色ずくめの紳士が降りてくる。
紳士はフージー氏がいましがた考えていたことを言い当て、時間の倹約をすすめて奇妙な計算を始める。
仕事や毎日の必要なことに使っている時間をすべてムダといい、年とった母親の相手をすることやインコの世話、合唱団の練習、友だちと会ったり本を読むことも、役に立たないことへの時間の浪費と言い放つ。
そしてフージー氏が秘密にしていたこと.....毎日花を持って車いすのダリア嬢を訪ねていたこと、さらに、寝る前に窓辺にすわってその日のことを思い出す習慣も、ムダ。
人生の時間から、これまでムダにしてきた時間を引くと、残り時間は...ゼロ!この計算こそ、灰色の男たちが何万もの人間をだますのに使ってきた手口だという。
時間のムダ、時間の節約....これは『モモ』が書かれてから半世紀以上も経った今も、ますます盛んに叫ばれている。時短、効率、生産性....
灰色の男がやって来たとき、フージー氏は寒気を感じる。怪しげな計算が進むと、くちびるが紫になるほど寒くなった。
「ムダ」と切り捨てられた時間は、その中にあたたかさを持つ時間ではなかっただろうか。
灰色の男たちは人間的なあたたかさが嫌いだ。
つまり、灰色の男たちの支配下に入らないためには、あたたかな触れあいやつながりを持っていること、それを大切に思うことだ。
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エンデの言葉
「灰色の男たちは、こまぎれ、分解の原理です。彼らにとっては、計算、計量、測定できるものだけしか現実性をもたない。計量思考を代弁しているのです。」
「人間から時間が疎外されていくのは、いのちが疎外されていくことであり、そう仕向けていく恐ろしい力が世界にある。しかし一方に、別の力が働いており、これが人間に治癒の作用を送ってくる。と、そこまで『モモ』で暗示したつもりです。」
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あたたかな内的時間。その時間で体験したことこそ、地上の人生を終えるときに、向こう側に持って行けるものだ。それはその人のほんとうの時間なのだから。
Zeit ist Leben(時間は、いのち)
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