昨夜、虫の音を聴きに外へ出てみた。
雨あがりの草の上や、伸びすぎたアスパラガスのレースのような葉っぱには、たくさんの小さな水滴がキラキラと光っている。
あちこちの草むらから、数種類の虫の声が響き合う。
いつまでも聴いていたくなる、何と心地よく美しい音色♪
鳴く虫は姿を見つけにくく、名前もわからない。
リーリリリーときれいな音が聞こえるのだけど、北海道にはスズムシはいないと言われているしこれは何の虫だろう。
虫の音が心地よい音色として聞こえるのは日本人とポリネシア人だけだそうで、他の人々には騒音のようにしか聞こえないというのがどうも不思議だ。
欧米人などは右脳で聞くのに対し、日本人は左脳で言葉として聞くからだというのだが、右脳(音楽脳)で聞くなら、美しい音楽として聞こえてもよさそうなものを。
虫の声だけでなく、川のせせらぎや葉擦れの音、雨の音などの自然音も同様なのだという。せせらぎの音をじっと聴いていると、何かの言葉に聞こえてくる。
日本人はそれらの音を言葉として聞くということは、雨や風とも会話ができるのだ。
もっとも最近では、蛙の声がうるさいから田んぼを潰せなどと言う理不尽なクレーマーも現れているらしい。
ところで私は、最近の花火大会が音楽やレーザーアートとコラボしているのがどうにも違和感がある。
花火の背景の闇、花火と花火の“間”の静寂。それらが消されてしまっているのが、なにか不穏な意図に感じられてしまう。
あの闇と静寂は、あってはいけない、埋め尽くさなければいけないものなのか?
自然音はむしろ、闇や静寂に近いところにあるもののような気がする。
だから、暗闇や静けさを恐れる現代人は、しだいに自然音をも怖れるようになってしまったのだろうか。
今日は久しぶりに蝉の声を聞いた。
昔は朝から聞こえていたこの夏の音は、今では郊外へ行かなければ聞くことができなくなっている。
posted by Sachiko at 16:37
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