久しぶりにフィンドホーンの話。
フィンドホーン発信の毎月のメッセージの中にこれがあった。
『喜びは結果ではなく、源泉』
おぉ...
何か気に入るものが手に入った結果として喜ぶのではなく、喜びは源泉として、無条件にすでにそこにある。何が起きても起きなくても。
実はあのコロナ騒動とロックダウンの影響で、その後のフィンドホーンは激震に見舞われていた。多くの話し合いが重ねられ、多くを失い、再構築が模索された。
私たちが滞在したクルーニーの館も人手に渡ってしまった。
フィンドホーンのシンボルは不死鳥なのだから、きっと新しい形で蘇るだろうと思っていた。
そうしてやってきたメッセージは深い。
喜びを感じるために、外側にあれこれを探し求め、手に入れようとする必要はなかった。
ひとりひとりのハートの奥深くに、尽きない源泉がある。それは私たち自身の共通の本質なのだ。
クルーニー館が人手に渡ったのは初めてではなく、創設期に一度起こったことがある。
当時創設メンバーが受け取ったガイダンスでは、「クルーニーはいつか戻って来る」と告げられ、やがてそのとおりになった。
ふたたび手放したクルーニーが戻って来ることがあるかどうかはわからないけれど、あの場所を懐かしく思う世界中の人々の想いが、何らかのはたらきをするのではないか、とも思う。
戻っても戻らなくても、クルーニーに満ちていた喜びは、源泉として永遠にあることだろう。
2026年03月09日
喜びは源泉
posted by Sachiko at 22:40
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2020年04月29日
はじまりの場所
今年1月、フィンドホーンの創設メンバーの中でただひとり健在だったドロシー・マクレーンが100歳の誕生日を迎えたことを書いたが、彼女はこの3月に天に帰ったそうだ。
フィンドホーンは、クルーニーとパークの2つのエリアに分かれている。どちらが好きかは人によって分かれる。
クルーニーが好きな私は、あまりパークのことを書いてこなかったけれど、もちろんパークにも重要な場所がたくさんある。
創設メンバーたちが住んでいたトレーラーハウスも、美しい庭の中で保存されている。

アイリーンを通して降りてくるガイダンスに従ってメンバーが行きついた先は、荒れた砂地でのトレーラー暮らしだった。
にもかかわらずガイダンスは、やがてこの地に大勢の人々がやってきて、愛による共同体を形成するだろうと告げていた。
フィンドホーンの創設は不思議な話に満ちている。
共同体が大きくなった後も、アイリーン・キャディは創設者として尊敬され大切にされていたが、カリスマ教祖のような立場になることはなかった。
ピラミッドの頂点に立って君臨するようなリーダーを置かないのが、フィンドホーンの方針なのだ。
新しい文明は、そのようになるだろう。ピラミッド型組織はもう要らない。
円環上の任意のどの点もその時々の起点になり得るように、誰もがリーダーであり、誰もリーダーではない。そして文字通りの円の中心(コンパスの針が置かれる位置)は、人間が立つ場所ではない気がする。
そこはアイリーンがガイダンスを受けた神(この名に抵抗があれば、宇宙でも何でも)や、ドロシーがコンタクトした自然のディーバたちなど、それなくしては人間であることが成り立たない、大いなるものの場所なのだと思う。
フィンドホーンは、クルーニーとパークの2つのエリアに分かれている。どちらが好きかは人によって分かれる。
クルーニーが好きな私は、あまりパークのことを書いてこなかったけれど、もちろんパークにも重要な場所がたくさんある。
創設メンバーたちが住んでいたトレーラーハウスも、美しい庭の中で保存されている。
アイリーンを通して降りてくるガイダンスに従ってメンバーが行きついた先は、荒れた砂地でのトレーラー暮らしだった。
にもかかわらずガイダンスは、やがてこの地に大勢の人々がやってきて、愛による共同体を形成するだろうと告げていた。
フィンドホーンの創設は不思議な話に満ちている。
共同体が大きくなった後も、アイリーン・キャディは創設者として尊敬され大切にされていたが、カリスマ教祖のような立場になることはなかった。
ピラミッドの頂点に立って君臨するようなリーダーを置かないのが、フィンドホーンの方針なのだ。
新しい文明は、そのようになるだろう。ピラミッド型組織はもう要らない。
円環上の任意のどの点もその時々の起点になり得るように、誰もがリーダーであり、誰もリーダーではない。そして文字通りの円の中心(コンパスの針が置かれる位置)は、人間が立つ場所ではない気がする。
そこはアイリーンがガイダンスを受けた神(この名に抵抗があれば、宇宙でも何でも)や、ドロシーがコンタクトした自然のディーバたちなど、それなくしては人間であることが成り立たない、大いなるものの場所なのだと思う。
posted by Sachiko at 22:54
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2020年04月09日
迷路を歩く
今朝、あるところで見つけた言葉...
「迷路を歩くことは、世界をその正しい道に戻すことに役立つ」(Walking a labyrinth, helps to set the world back on its rightful path.)
フィンドホーンのある場所のことを思いだした。
正式名を忘れてしまったが、日本人のあいだでは、通称「ぐるぐる山」と呼ばれていた。
クルーニー館の裏手の道をしばらく行ったところに、小さな丘がある。
そこには螺旋状に小道がつけられていて、頂上までぐるぐると歩きながら登るのだ。
私はもっと大きな丘を想像していたので、最初は小道を横切ってまっすぐ登ってしまい、ぐるぐる山はどこにあるんだろう?と思っていたら、立っていた場所が頂上だった。
確かに、そこには石を並べて作ったそれらしき印が幾つかあった。
フィンドホーンで冬に行われるスパイラルウォークも、針葉樹の枝で螺旋形に作った道を歩き、キャンドルに火をともして瞑想するお祭りだ。
普段、人は道をまっすぐ歩き、ぐるぐる回ることはない。
ぐるぐると歩くことで、意識されない深みに触れるような、通常とは違う次元に移される。
河合隼雄の本だったか、こんな話を読んだことがある。
ある精神疾患を患った男性が、迷路のような町で迷子になって一晩中歩き回り、朝になって出てきたときには治っていた、という話だ。
世界に時々降りかかる災難は、人間を迷路の中に放り込み、そこを抜け出たときにそれまでとは違った価値にたどり着く可能性として現れるのではないか、という気もする。

「迷路を歩くことは、世界をその正しい道に戻すことに役立つ」(Walking a labyrinth, helps to set the world back on its rightful path.)
フィンドホーンのある場所のことを思いだした。
正式名を忘れてしまったが、日本人のあいだでは、通称「ぐるぐる山」と呼ばれていた。
クルーニー館の裏手の道をしばらく行ったところに、小さな丘がある。
そこには螺旋状に小道がつけられていて、頂上までぐるぐると歩きながら登るのだ。
私はもっと大きな丘を想像していたので、最初は小道を横切ってまっすぐ登ってしまい、ぐるぐる山はどこにあるんだろう?と思っていたら、立っていた場所が頂上だった。
確かに、そこには石を並べて作ったそれらしき印が幾つかあった。
フィンドホーンで冬に行われるスパイラルウォークも、針葉樹の枝で螺旋形に作った道を歩き、キャンドルに火をともして瞑想するお祭りだ。
普段、人は道をまっすぐ歩き、ぐるぐる回ることはない。
ぐるぐると歩くことで、意識されない深みに触れるような、通常とは違う次元に移される。
河合隼雄の本だったか、こんな話を読んだことがある。
ある精神疾患を患った男性が、迷路のような町で迷子になって一晩中歩き回り、朝になって出てきたときには治っていた、という話だ。
世界に時々降りかかる災難は、人間を迷路の中に放り込み、そこを抜け出たときにそれまでとは違った価値にたどり着く可能性として現れるのではないか、という気もする。
posted by Sachiko at 22:34
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2019年09月09日
ヒマラヤの青いケシ
青い花つながりで、今日はこれを....
メコノプシス、またはヒマラヤンブルーポピーとも呼ばれる。

これが咲いていたのは、フィンドホーンのパークのガーデンだった。
創設メンバーたちが住んでいたトレーラーハウスが今も残っていて、その近くの庭だったと思う。
おお、ブルーポピーだ、さすがスコットランド!と思ったが、みんなは興味を示さず先に行ってしまったので、急いで1枚だけ写真を撮ったのだ。
ヒマラヤに自生する花で、耐寒性はとても高いが暑さに弱く、日本の気候ではまず育たない。
実は二度ばかり栽培に挑戦したことがある。
つぼみが付いた頃には気温が上がり、日陰に置いたり、暑い日にはクーラーボックスに避難させたりしたのだが、つぼみが開くことなくお亡くなりになってしまった。
昔の札幌なら6月に何とか咲いたかも知れないが、今はもう気温が高すぎる。稚内とか釧路とか、めったに20度を超えないようなところなら大丈夫かもしれない。
今年の北ヨーロッパの夏はとんでもない熱波に見舞われたようだ。スコットランドの北のはずれにあるフィンドホーンはどうだったのだろう。
青いケシは今年も咲いていただろうか。
楚々とした澄んだ水色の花よ、どうかご無事で...と思うのだった。
メコノプシス、またはヒマラヤンブルーポピーとも呼ばれる。
これが咲いていたのは、フィンドホーンのパークのガーデンだった。
創設メンバーたちが住んでいたトレーラーハウスが今も残っていて、その近くの庭だったと思う。
おお、ブルーポピーだ、さすがスコットランド!と思ったが、みんなは興味を示さず先に行ってしまったので、急いで1枚だけ写真を撮ったのだ。
ヒマラヤに自生する花で、耐寒性はとても高いが暑さに弱く、日本の気候ではまず育たない。
実は二度ばかり栽培に挑戦したことがある。
つぼみが付いた頃には気温が上がり、日陰に置いたり、暑い日にはクーラーボックスに避難させたりしたのだが、つぼみが開くことなくお亡くなりになってしまった。
昔の札幌なら6月に何とか咲いたかも知れないが、今はもう気温が高すぎる。稚内とか釧路とか、めったに20度を超えないようなところなら大丈夫かもしれない。
今年の北ヨーロッパの夏はとんでもない熱波に見舞われたようだ。スコットランドの北のはずれにあるフィンドホーンはどうだったのだろう。
青いケシは今年も咲いていただろうか。
楚々とした澄んだ水色の花よ、どうかご無事で...と思うのだった。
posted by Sachiko at 21:55
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2019年08月19日
機械の霊・3
フィンドホーンの創設メンバーであるドロシー・マクレーンも、機械の中のディーバに似た存在について言及している。
フィンドホーン創設から数年後、初めて印刷機を手に入れたときのことだ。その機械が人によって違う反応を示すことに気がついたのだ。
ドロシーが風景の天使に相談すると、機械にもディーバのような存在はいるということだった。
風景の天使の答えはこのようなものだった。
機械のディーバは違う種族であること、人間は無意識に高次エネルギーの中に機械の原型を作るが、彼の意識には限界があること。
聖なるエネルギーは機械のディーバに力を与え、教育し、その使命をまっとうさせるようにはたらいている、ということ。
そして機械の精はディーバたちの世界で働いているが、まだそこに完全にいるわけではない、いわば子どものようなものだということ。
「…彼らに対しては、私たちに対するのと同じように話しかけなさい。彼らの真の本質はやはり神であり、彼の限界を無視して彼を認めてあげるほど、彼の神の本能が引き出されるのです。」
ドロシーの、自分は機械に何の愛情も持っていない、という告白に対し、天使はこう言った。
「機械のディーバに直接コンタクトできる時はまだ来ていません。機械を見下して話しかけてはいけません。機械を扱うときのあなたの意識を上げなさい。」
そうしてドロシーたちは次第に機械を生き物として意識するようになった。やがて、機械のディーバからこのようなメッセージがやってきた。
機械は人間の愛と思いやりに応える。機械は頭脳によって生まれたが、その背後ではもっと大きな力が働いている。機械を扱うときは、その背後の力を使うように、と。
現在のような技術第一主義の時代には、機械を生命の意識の一部として認識する態度は、人間や他の生命体の質に大きな変化をもたらすだろう、とドロシーは言っている。
機械にも意識があるのではないかと感じる出来事は少なくないと思う。家電が壊れるときはなぜか立て続けに壊れたりする。
ある機械は、自動的に動いているのだからと思ってその場を離れると、戻ってきたときになぜかトラブルを起こしているということがよくあった。
それで、なるべく付いて見ているか、離れるときは一声かけることにした。
Windowsはやたら故障してすでに7台目くらいになるが、その前からあるもはやアンティークの古いMacは、今も作業用に使っていて故障知らずだ。
これも、単に昔のMacは性能が良かったというだけでなく、私の信頼度の問題かもしれない。
ここで紹介したフィンドホーンの印刷機の話は1960年代のことだ。ますます複雑化し、有害な電磁波を撒き散らすものも増えた今は、人間は更に高い意識レベルでそれらを扱わなくてはいけないということだろうか。
私もまだ、自然界の存在に対するのと同じように機械に愛情を持つことは難しいが.....
フィンドホーン創設から数年後、初めて印刷機を手に入れたときのことだ。その機械が人によって違う反応を示すことに気がついたのだ。
ドロシーが風景の天使に相談すると、機械にもディーバのような存在はいるということだった。
風景の天使の答えはこのようなものだった。
機械のディーバは違う種族であること、人間は無意識に高次エネルギーの中に機械の原型を作るが、彼の意識には限界があること。
聖なるエネルギーは機械のディーバに力を与え、教育し、その使命をまっとうさせるようにはたらいている、ということ。
そして機械の精はディーバたちの世界で働いているが、まだそこに完全にいるわけではない、いわば子どものようなものだということ。
「…彼らに対しては、私たちに対するのと同じように話しかけなさい。彼らの真の本質はやはり神であり、彼の限界を無視して彼を認めてあげるほど、彼の神の本能が引き出されるのです。」
ドロシーの、自分は機械に何の愛情も持っていない、という告白に対し、天使はこう言った。
「機械のディーバに直接コンタクトできる時はまだ来ていません。機械を見下して話しかけてはいけません。機械を扱うときのあなたの意識を上げなさい。」
そうしてドロシーたちは次第に機械を生き物として意識するようになった。やがて、機械のディーバからこのようなメッセージがやってきた。
機械は人間の愛と思いやりに応える。機械は頭脳によって生まれたが、その背後ではもっと大きな力が働いている。機械を扱うときは、その背後の力を使うように、と。
現在のような技術第一主義の時代には、機械を生命の意識の一部として認識する態度は、人間や他の生命体の質に大きな変化をもたらすだろう、とドロシーは言っている。
機械にも意識があるのではないかと感じる出来事は少なくないと思う。家電が壊れるときはなぜか立て続けに壊れたりする。
ある機械は、自動的に動いているのだからと思ってその場を離れると、戻ってきたときになぜかトラブルを起こしているということがよくあった。
それで、なるべく付いて見ているか、離れるときは一声かけることにした。
Windowsはやたら故障してすでに7台目くらいになるが、その前からあるもはやアンティークの古いMacは、今も作業用に使っていて故障知らずだ。
これも、単に昔のMacは性能が良かったというだけでなく、私の信頼度の問題かもしれない。
ここで紹介したフィンドホーンの印刷機の話は1960年代のことだ。ますます複雑化し、有害な電磁波を撒き散らすものも増えた今は、人間は更に高い意識レベルでそれらを扱わなくてはいけないということだろうか。
私もまだ、自然界の存在に対するのと同じように機械に愛情を持つことは難しいが.....
posted by Sachiko at 21:05
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