2021年04月24日

パパ・ペッレリンのゆくえ

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。

馬車は森の奥へ進む。
キイチゴの繁みを過ぎると、パパ・ペッレリンが両腕をひろげて迎えてくれるはずだ。ところが.....

「おばさん、パパ・ペッレリンがいないわ!」

ローエラは叫ぶが、アディナおばさんのようすが何だかおかしい。

「繁みの中に倒れているようだから見ておいで」と言って、おばさんは双子を連れて急いで家に帰っていった。

繁みに行ってみると、そこにいたのはかかしではなく、知らない男の人だった。そういえばおばさんの手紙に、森の奥のフレドリク=オルソンのところに男の人が住んでいると書いてあった。
とにかく、パパ・ペッレリンを返してもらわなくては。

男はひとりごとのように言う。

「きっと、もう、手遅れだったのだ。古かかしの身代わりにさえなれないなんて....」

・・・

「わたしには娘がひとりいてね。...なんて名前か知りたくないかい?」

「べつに。あたしとは関係ないもの。」

ローエラにとって、こんな話はつらい。今気にしているのは、だいじなパパ・ペッレリンを返してほしいということだけだ。

立ち去ろうとしたローエラの背後から、声が聞こえた。

「わたしの娘はローエラという名前なんだ...ローエラだよ...」

ゆっくりと戻って目を上げると、男はパパ・ペッレリンと同じ格好で両手を広げていた。

ローエラにはまだ事情が飲みこめない。
児童ホームの白昼夢のように、この夢がさめてはならない。
木の葉を引きちぎりながら、ローエラは言う。

「あたしも....ローエラって名前なの。」

森はしずまりかえった。

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そういえばマリア・グリーペの作品では、「夜のパパ」のぺーテルや、ジョセフィーンのパパなど、「パパ」と呼ばれる存在が強い印象を与える。

ローエラが期待していたのは、森に帰ったら、パパ・ペッレリンが両手を広げて迎えてくれることだった。
森を離れるとき、飛び込みたいのを我慢した、あの両腕。

森から始まった物語は、森で終わる。
でもローエラは町へ行く必要があった。
アグダ・ルンドクヴィストが森の家にやってきてパパの話をするまで、ローエラにとってパパの存在は現実味がなかった。

学校で父の日の絵を描くことになった時から、しだいに町に来た意味はパパに会うことだ、という白日夢が始まったのだ。
絵は、白アネモネの花束を持った少女と男の人が道で出会う絵だった。

ローエラが白日夢の中で繰り返し繰り返し聞いたあの言葉...
それを聞いたのは、町の港でもなく、白日夢の中のような大災害や事故現場でもなかった。

静まり返った森....これ以上の場所はない。
そして今両手を広げているのはかかしではない。

美しい森で、物語はしあわせに終わっていい。

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ふたりをとりまく森の木々や花、地上の虫、空飛ぶ小鳥-----ありとあらゆるものが、男の言葉を聞いたのだ。

「じゃ、あんたはわたしの娘にちがいない。あんたはたしかに、わたしの娘だ。」

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posted by Sachiko at 22:33 | Comment(0) | マリア・グリーペの作品
2021年04月14日

白い呪文

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。

森に帰る日の早朝、ローエラは市役所の前にある美しい古い泉にやってきた。水道管の中に押し込められずに、生き生きと自由に流れる水。

この泉で水浴びしてから町を去ろうと決めていたローエラは、服と靴を脱ぎ、下着だけになって泉に飛び込んだ。
まるで森にいるような、自由、喜び!空に舞い上がる小鳥になった気分!

「ここは公共の水あび場ではないんだぞ!」

いつの間にか警官がそばに来ていた。

「あたし、きょう、うちに帰るんです。さようなら。」
「そりゃよかった。じゃ、さよなら。」

寮母のスベアおばさんが車で駅まで送ってくれる。モナもいっしょだ。途中、アグダ・ルンドクヴィストの家に寄って双子の弟たちを受けとる。

ローエラと弟たちが乗り込んだ汽車が動きだした。
モナとスベアおばさんは汽車と並んで走るが、やがてふたりの姿は遠ざかり、見えなくなった。

町の人たちと深いつきあいをしなくてよかった。そうしていたら、別れはとても辛かっただろう。

駅にはアディナおばさんが馬車で迎えに来ていた。
村を通るとき、あのすてきな青いブラウスを着たローエラにみんなが目をとめた。もう誰も「ノミのローエラ」などと言わない。

村を抜け、道は森の奥深くに入っていく。

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ローエラは、ふと身ぶるいをする。しずけさと、木立ちのかげと、〈落日のしずかな雨〉。

「日の光、ヒメマイヅルソウ、森の小道.....」

ああ、ついに帰ってきた、あたしのふるさと。

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ローエラが機嫌のいいときの呪文、長いあいだ口にしていなかった言葉が、ついにここで出てくる。
(言葉が少し違っている。物語の前半で触れられたときは「「白アネモネ、日の光、ヒメマイヅルソウ」だった。)
ヒメマイヅルソウは、初夏の森に咲くとても小さな山野草で、北海道の森でも見られる。

都会という夢から醒めて、ローエラは本来の自分を取り戻していく。
美しい夏景色は、それがローエラの失われた一部だったかのように、今、戻ってきた。

太陽の光、道端のあざやかな緑、花々、ミツバチの羽音、小鳥のさえずり....
町にはない、ほんとうの静けさ。大気と風のそよぎ。

アディナおばさんの助けがあったとはいえ、森の家で弟たちの世話をしながら、時には村へ“遠征”もしなければならなかった頃の暮らしは過酷だったはずだ。

にもかかわらずローエラにとって、森はこんなにも喜ばしいふるさとだったのだ。
人工物だらけの都会と違って、大気も水も光も風も、ここではほんとうの輝きを持っている。

日の光、ヒメマイヅルソウ、森の小道....

森の善きものすべてに対する感謝と祈りのことばが今、しあわせなローエラを静かに満たしていくようだ。
   
posted by Sachiko at 22:23 | Comment(0) | マリア・グリーペの作品
2021年04月07日

石けんの香り

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。

6月、学校は終わり、明日は出発という日、ローエラは町に買い物に出かけた。アディナおばさんからもらったお金をほとんど貯金しておいたのだ。

まず、家の周りにまく花の種をたくさん買う。
それから寮母のスベアおばさんにハンカチ、アディナおばさんには帽子に飾る布製の花、モナにはイヤリング、そして、町の思い出に自分用に何か買うのも悪くない。

思い出にしたいものは何だろう。それは都会の香りだ。
化粧品店で特別の石けんを探しているらしいローエラに、売り子も手伝ってくれた。
ローエラは店にある石けんひとつひとつの匂いをかぎはじめる。

「おぼえてると思い込んでいるだけじゃないの?もののかおりくらい、記憶があやふやなものはないんですよ。」

「あら、ちゃんとおぼえているわ。」

ローエラがついに見つけた石けんは、思いのほか高価だった。
売り子は機転をきかせ、箱入り石けんをばら売りにして、ローエラが持っているお金でちょうど足りると言ってくれた。

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このかおりこそ、ローエラが身につけて森の家に帰りたいとねがっていたものだ。町にきて以来ほとんど毎日なじんできたかおり、そして、すっかり魅せられてしまったかおりだった。

それは美と才能のシンボルであり、ほのぼのとただようかおりだけしか感じとれない、至高のものをあらわしている。

そのかおりは、ローエラの担任であるローズマリー=スコーグ先生が、手をあらうのに毎日つかっていたせっけんのかおりであった。

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香りは記憶と強く結びついていると言われる。
でも言われてみれば、店の売り子が言うように、香りの背景にあった出来事や情景を思い出すのと、その香りそのものを正確に覚えているかどうかはまた別のことなのか。

ちなみに私は牛乳石鹼の青箱の香りが好きだけれど(シンプルに石けんらしい香りだ)、赤箱はそうでもない。
D...石けんは、香りが好きになれずに使うのをやめてしまった。
私がボディソープ派にならないのは、まさに石けん特有の香りのせいだ。

香りは確かに、記憶と結びついている。
濃いコーヒーの香りは、早朝のホテルのダイニングの香りとして、旅の思い出を呼び起こす。

そこまではっきりと意識されない、空気の中にほんのかすかに漂うだけの微細な香りもある。
物理的な感覚に訴える香りだけでなく、似た雰囲気のものを指して、「同じ匂いがする」という表現があるように、香りと言うものもまた、見える世界と見えない世界のあいだにあるのだろう。

今日はなんだか妙な話になってしまったけれど、ローエラが町の思い出に石けんを選んだのは、絶妙な選択だった気がするのだ。
  
posted by Sachiko at 22:37 | Comment(2) | マリア・グリーペの作品
2021年03月29日

帰郷の準備

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。

白日夢から醒めたローエラは、パパのことを冷静に考え始めた。
こうあってほしいという自分の心に惑わされたことが、今ではわかる。すべては幻だった....

あの晩家が恋しいと泣いていたモナは、もうけろりとしている。でも、モナには頼る人が誰もいない。
ローエラは今になってアディナおばさんのありがたみがわかった。
それでおばさんに、今学期が終わったらすぐに帰ると手紙を書き、森の家の気がかりなことなどを尋ねた。

すぐに返事が来て、すべては無事だとわかった。
町はもうローエラをつなぎとめる力を持たない。
町暮らしで失われかけた自分の力が戻ってくるのを、ローエラは感じていた。

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ローエラが気にかけていたのは、懐かしい森の家と、周りの景色のことだった。

パパ・ペッレリンはまだ立っている?花は咲いた?ライラックはつぼみをつけている?リンゴの木はどうなった?ポーチの脇のアオイは?......


町暮らしで失われかけた力は、どのようなものだっただろう。
町にあるものはすべて何かの代用品のように、ローエラには思えたのだ。
生き生きとした暮らしの代わりの刺激、喜びの代わりの娯楽、気を紛らわすための騒音、そして人はすれ違っても挨拶さえしない。

森は人を自由にし、本質につなぎとめる。森にあるものはすべて生きているか、かつて生きていたもので、ほんものだ。
森に帰ることが決まったローエラからは、内から泉のように湧き出る生命の力がよみがえってくるのが感じられる。
 
posted by Sachiko at 22:09 | Comment(0) | マリア・グリーペの作品
2021年03月05日

エイプリルフール

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。


春祭りの前夜---四月最後の日、ローエラはモナの夜遊びにいっしょに連れていってくれるよう頼んだ。外出の最後のチャンスだ、
だが...町の教会の12時の鐘が鳴り、コップの予言は当たらなかった。


ある晩、モナが泣いていた。
家が恋しいと言う。でも帰る家はとっくになかったのだ。

モナには兄が二人と、妹が一人いた。
ある日、母親は赤んぼうだった妹を連れて家出し、そして再婚した。
そのすぐ後で父親も再婚した。兄たちはすでに家を出ていた。

モナはできるだけ家に寄りつかないことにして仲間と遊びまわった。
その頃の父親は、何をしても叱らず、ねだるものは買ってくれた。
けれどスリルのために仲間たちと万引きをしたのがばれた時、すべては変わった。

ものわかりがよさそうだった父親は一変し、モナから手を引いて児童保護委員会に委ねた。


モナは話し続ける。

「児童保護委員会の人はやっぱりものわかりがよかったわ、ええ、わかってますよって顔してた。
『理解してます。理解してまぁす。』って、そんなものが何になるの?
・・・
父親ってのは、たえず子どもを〈理解〉してるひつようなんかないのよ....そうよ....、いつも〈好いて〉くれてれば、それでいいんだ。」

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ローエラは以前から、モナの毎晩のお祈りが気になっていた。

「・・神さま、モナとロランとクリルとピップとヨッケとマッガンと、すべての人をおまもりください....アーメン....あのおいぼれじじいのほかは」

ヨッケはボーイフレンドでマッガンは友だちだ。他は兄たちと妹。
「おいぼれじじい」がモナのパパのことだったとは!


化粧をし、週刊誌とヒットソングが好きで、タバコを吸い、遊びまわるモナ。森にいた頃のローエラなら、けっして関わろうとはしなかっただろう。

町の暮らしはローエラの経験を広げ、それは必ずしも最初に思ったほどわるいものばかりではなかった。


児童保護委員会の人が示す「理解」、こういうことはどこの国でも同じようなものなのか、あのスウェーデンでさえも...?

背伸びしているモナも、まだ子どもだ。
そして子どもは大人の言葉や態度の背後にあるものを、頭ではなく全身の感覚で聴く。

そういえば子どもの頃、大人はたいてい愛想が良かった。
にこやかに話しかけてきても、ほとんどの場合、それが「お愛想」だとわかってしまった。
(私はきわめて愛想のわるい子どもだったが...)


ひとつ、全く違う物語を思い出す。
ジブリのアニメにもなった「思い出のマーニー」に出てくる、田舎でアンナを預かった素朴な老夫婦。

アンナはある時、この素朴なおばさんが誰かにアンナのことを話しているのを耳にする。

「何といってもあの子は、わたしらには金(きん)みたいにいい子だからね。」

河合隼雄が何かの本で、アンナがこの言葉にどれほど癒されたことか、と書いていた。
老夫婦はアンナを理解しているわけではなかったが、アンナをアンナのままで大切に思っていたのだ。


話を戻す。
ローエラはモナとたまたま同じ部屋に住んでいるだけで、特に仲良くなったわけではない。
ただ、最初の頃ほど反感は感じなくなり、関心を持ち始めていた。
モナも親兄弟と離れ離れになって、ひとりぼっちでここにきているのだ。

ローエラはコップの予言が当たらなかった話を持ち出してみた。

「あれは一種のエイプリルフールよ。いちいち気にすることないわ。ああいう遊び、やったことないの?」

エイプリルフールだって?では霊にかつがれたのか。
ローエラはすべてを始めから考え直してみることにした...
  
  
posted by Sachiko at 22:33 | Comment(0) | マリア・グリーペの作品