2026年08月31日

ムーミンママの「怒りの森」

『ムーミン谷の11月』より。
 
ムーミンファミリーが留守中のムーミン屋敷に、次々と人が何かを探しに訪れる。その中のひとりホムサ=トフトは、憧れのムーミンママに会いに来たのだ。
 
ムーミン家の人たちは、腹を立てたり憂鬱になったりひとりになってせいせいしたいときには、家の裏手にある気味のわるい森の中に入るのだと、ミムラが言う。
ムーミンママはそんな人じゃないと、ホムサ=トフトは叫ぶ。
トフトはムーミンママを理想化している。
 
帰ってこないムーミン一家を待ちきれずに腹を立てたホムサ=トフトは、裏庭を通り越して薄暗い森の中へ駆け込む。
ここはみんなが暗い想いを抱いて歩き回るだけの「怒りの森」なのだ。
 
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ムーミンママは、くたびれたり、はらがたったり、がっかりしたり、ひとりになりたいときには、あてもなく、はてしなくうす暗いこの森の中を歩きまわって、しょんぼりした気持ちをかみしめていたんだ.....ホムサ=トフトには、まるっきりいままでとはちがったママが見えました。すると、それがいかにもママらしくて、自然に思えました。
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けっして理想郷ではないと言われるムーミン谷が、それでもどこか理想郷のように見えるのはなぜだろう。
 
『・・・ムーミン谷は、けっしてユートピアでもないし、おとぎの国でもありません。
--中略--それにもかかわらず、ムーミン谷には、どんな強烈な個性の持ち主であっても、だれもが、自分らしく、自由に生きられる世界があります・・・』(あとがきより)
 
浅薄な理想-----泣いている人や怒っている人がいなくて誰もがいつもニコニコ笑っていてみんな仲よくしている-----は、怒りの森よりもはるかに薄気味が悪い。
と思っていたら、ドンピシャの言葉を見つけた。
 
 なぜ、「みんな仲よく」という思いが、
 かえって本音を言えない空気を生み出してしまうのか。
 
 
仲よくする必要があるのは、心地よいものばかりではない自分の内界の存在たちだ。
だからムーミン谷は魂の世界に似ている。
必ずしも仲よくなく、理想的な善人でもない、あらゆる形姿を持つ奇妙な人たち。
 
フィリフヨンカとガフサ夫人は、本心では互いのことが好きではないのに“社交的なおつき合い”を続けている。
ヘムレンさんは人に命令して動かそうとするのが好きでひんしゅくを買っている。
みんなから怖れられる、暗く冷たい怪物のようなモランもいる。
その中でほとんど理想的に見えるムーミンママも、裏手に「怒りの森」を持っている。
 
 
ムーミン谷には、それらすべてを非難も評価も排除もせずに包み込む“何か大いなるもの”が存在するように思える。
それがムーミン谷をどこか理想郷のように思わせ、人々は自由に安らぐことができるのだろう。
 
posted by Sachiko at 21:30 | Comment(0) | ムーミン谷
2026年07月31日

ムーミン谷にはリーダーがいない

ムーミン谷は誰が統治しているのか、そもそもそのような存在がいるのかどうかもわからない。

例えばナルニアのアスランのような神格、ミドルアース(中つ国)のアラゴルンやガンダルフのような王や指導者、アースシーのゲドのような英雄もいない。

ムーミン谷にはありとあらゆる個性を持つ奇妙な人々がいて、モランのような恐ろしげな存在もいるのに、権力者はいない。

ムーミンの原型のようなキャラクターが最初に描かれたのが1943年。物語の第一作は1945年。トーベ・ヤンソンが「あの忌々しい検閲時代」と呼んだ戦争時代に、反権力派の雑誌の中でムーミンはひっそり誕生したのだった。


一人一人がひたすら自分自身を生きまくることで秩序が成り立っているというムーミン谷。もし、みんなを仕切る強いリーダーがいたとしたら....

スナフキンは仕切り屋などまっぴらだろうし、ミイは相手にせず好きなようにふるまうだろう。
他の人々も同様に、つまり誰も、人や物事を外から動かそうとする古いタイプのリーダーなど必要としていないのだ。


“一人一人がひたすら自分自身を生きまくる”、これが鍵だ。
アナーキーなムーミン谷にリーダーがいるとすれば、それは一人一人の中の『自分自身』ではないのだろうか。

強い力を持つリーダーを外側に必要としないほど『自分自身』になることで、全体の秩序も整う。ジグソーパズルの各一片が、正しくそれ自身の場所にあるように。
それは未来の理想であり、ムーミン谷は未来に実現する世界のようにも見える。


それでももし中心的人物がいるとすれば、ムーミンママだろうか。

ゆったり、どっしり、ふんわり...

そこにいるだけで、誰をも力で動かすことなくすべてを包み込み受け入れ、そうしてひとりひとりが自由に自分自身でいることができる空気を、意図せずに創り出している。

これは新しい時代のリーダー像のようにも見えるけれど、リーダーという呼び名はもう合わない、別の何かだ。

ミヒャエル・エンデが『モモ』について、常に行動的だった従来のヒーローに対し、行為ではなく存在、ただそこにいるだけでヒーローであるような全く違うヒーロー像を描こうとした、という話にも通じる気がする。
 
posted by Sachiko at 17:34 | Comment(0) | ムーミン谷
2025年04月17日

続・“飛行おに”の魔法

「たのしいムーミン一家」より。

ムーミンパパが願いを叶えてもらう番になったが、これ!という願いが思い浮かばない。パパも、特に渇望するものがないほど満たされているのだ。

そこでママが、
「あなたの自伝をとじる、すてきなつづりこみにしたら。」
と提案し、パパはすばらしいつづりこみをもらった。

スノークのおじょうさんは、海岸で拾った木の女王さま(船首飾りの像)のような美しい目にしてほしいと頼んだのだが、これはばかな願いだった。
結局スノーク兄がそれを取り消し、元の小さなかわいい目に戻してもらうことになった。。

飛行おにはこうしてみんなの願いを次々に叶えていき、そのときムーミン家にいた人たちの中で、トフスランとビフスランが最後に残った。
ビフスランが聞いた。

「あなたは、じぶんでじぶんののぞみをかなえることはできないの?」

「それはできんのじゃ。わしはただ、ほかのものののぞみをかなえてやるのと、じぶんのすがたをかえるのができるだけなんだ。」

他の人の望みを叶えるのは簡単なのに、魔法使い本人が何よりも一番欲しいものが、自分の魔法では手に入らない。

トフスランとビフスランは長いあいだ相談したあと、、飛行おにの代わりに、ルビーの王さまと同じくらいきれいなルビーを出してくれるように願った。

トフスランとビフスランはすでにルビーの王さまを持っているのだから、彼らも満たされている。この奇妙なふたりが自分たちの番になった時に、飛行おにのために願うことを思いついた。
この場面は、その方法があったか!と意表を突かれたような感じがした。


飛行おにが喜びにあふれてマントを振ると、ルビーの王さまと双子のような『ルビーの女王』が現われた。

すっかり機嫌よくなった飛行おには、集まってきたほかのみんなにも願いを叶えてやった。ふたたびお祝いがはじまり、夜明け前に飛行おには、世界のはてに飛んでいった。
飛行おには、たぶんこの巻にしか登場しなかったのではないかと思う。

望むものが他の人を通してでなければ手に入らないというのは、なんだかとても深い真実のようだ。
  
posted by Sachiko at 22:31 | Comment(2) | ムーミン谷
2025年04月09日

“飛行おに”の魔法

とても久しぶりのムーミン谷、「たのしいムーミン一家」から。

魔法使いらしい“飛行おに”は、『ルビーの王さま』というすばらしい宝石を探して世界中どころか宇宙までも旅していた。
そのとき月にいた飛行おには、地球で赤い光が輝いているのを見つけ、黒ヒョウに乗ってムーミン谷に降りて来る。

トフスランとビフスランという、双子のようにそっくりなひとたちが持っていたスーツケースの中に、ルビーはあった。飛行おにはこれを300年も探していたのだ。

何か食べるものがほしいという飛行おにに、ムーミンママはパンケーキとジャムを差し出す。
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パンケーキにジャムをのせて食べるひとが、そんなに危険人物であるわけがありません。(これは『ムーミン谷の名言集』にも載っている)
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85年ぶりにパンケーキを食べたという飛行おにに、みんなは同情する。
パンケーキを食べ終えた飛行おには言った。

「わしはきみたちのルビーを、とりあげるわけにゃいかない。そんなことをするのは、どろぼうだからな。
しかし、なにかととりかえるわけにはいかんかね。」

けれどトフスランとビフスランはどうしても渡したくないと言う。
しばらく悲しそうにすわっていた飛行おには、最後にこう言った。

「わしはきみたちのために、ちょっとしたまほうをつかって、じぶんをなぐさめることにしよう。
きみたちのひとりひとりに、一つずつまほうをかけてあげよう。
さあ、みなさん、なにかのぞみがあったらいいなさい。」


300年も探し続けた宝が目の前にありながら手に入らない埋め合わせに、魔法でみんなの願いを叶えてあげる.....とても奇妙な申し出に見える。
でも飛行おには、それで慰められるらしいのだ。

ムーミンママは、スナフキンが旅立ってしまったことを悲しんでいるムーミンがもう悲しまないようにと願った。
飛行おにがマントを一振りすると、ムーミンの悲しむ心は、また会える日を待ち望む心に変わり、そのほうがずっと気持ちがいいのだった。

そして元気になったムーミンは、どこか遠くにいるスナフキンのところまで、ごちそうの載ったテーブルを届けてくれるように願う。


ムーミンママが与えられた願いの力を、自分のためにではなく悲しむムーミンのために使うこのシーンが、私はとても印象に残っている。

ママはきっと何かを求める必要がないほど満ち足りているのだ。
そして気分がよくなったムーミンも、願いの力をスナフキンのために使う。さっきまではそのスナフキンがいないことで悲しんでいたのに。
こうして他の誰かのための願いが循環していくようすは心地よく映る。

飛行おにの魔法の話はもう少し続く....

 
posted by Sachiko at 22:33 | Comment(2) | ムーミン谷
2022年09月17日

秋の灯

「ムーミンパパ海へ行く」より。

北国ではもう秋の気配がする8月末の夕暮れ時、パパは水晶玉をのぞき込む。パパの水晶玉は、庭の中心であり、ムーミン谷の中心であり、全世界の中心なのだ。

水晶玉の深い深い内側に、家族の姿が映りはじめる。
それは小さく、頼りなく見えて、守ってやらなければならないとパパは思う。

夏と秋の“あいだ”、昼と夜の“あいだ”。
どこか心もとない季節の、揺らいでいる時間。

しだいに闇が濃くなってくる。
ママがランプを灯したことで、水晶玉の中に見えるものはランプの光だけになった。


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ランプは、すべてのものを身近に、安全に感じさせ、小さな家族のみんなを、おたがいによく知りあい、信じあうようにさせます。
光の輪の外は、知らない、こわいものだらけで、暗やみは高く高く、遠く遠く世界の終わりまでもとどいているように思われました。
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こうした翳る気分を象徴するように、暗い存在、モランがやってくる。
モランがすわっていた場所は凍りついている。
ランプの近くまでやってくると、火は消えてしまう。

これは、ムーミン一家が島に移り住む少し前のことだ。
短い章の中に、島暮らしで家族それぞれに起こる危うい変化を予感させる。

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9月の夕刻、まだあまり暗くなりすぎない頃にろうそくに火を灯すと、この季節だけの独特の気分が満ちる。
言葉でうまく表せないけれど、灯火とそれを囲む薄闇が、たしかにある意識を持った空間を創りだしているようなのだ。

日が沈んだあとの少しの時間、外の空気は青インクを溶かし込んだような色に染まる。

やがて暗闇の中心、深い内側で灯火だけが輝きはじめる。
ムーミンパパの水晶玉の中のように。
  
posted by Sachiko at 22:28 | Comment(2) | ムーミン谷