2024年04月22日

アウグスツス

ヘルマン・ヘッセの「アウグスツス」(“アウグストゥス”と表記したいところだけれど、古い翻訳のままに)。
新潮文庫の『メルヒェン』というアンソロジーに収録されている。

少し長いあらすじ↓
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結婚して間もなく夫を亡くしたエリーザベト夫人は、子供が生まれるのをひとりで待っていた。
隣にはビンスワンゲルという老人が住んでいた。
エリーザベト夫人は生まれた子供に夫と同じアウグスツスと名づけたいと思い、ビンスワンゲルさんに名付け親になってほしいと頼んだ。

二人が教会へ行って子供に洗礼を受けさせたあと、ビンスワンゲルさんは、夫人が子供にとっていちばんよいと思う願いをひとつだけ、家からオルゴールの音が聞こえたら子どもの耳に言えばそれが叶えられると言った。

夫人はその夜、隣の家の美しい音楽が鳴りやむ前に、「みんながお前を愛さずにはいられないように」と願った。

幼いアウグスツスが時々ビンスワンゲルさんの家に行くと、そこでは美しい音楽とともに、小さな天使たちが輝きながら飛びまわっていた。


子どもは大きくなり、誰からも愛されたが、彼を愛する人々には冷淡な態度をとるようになっていた。
やがて首府で大学生になったアウグスツスは、母親の病気の知らせを受けて郷里に戻った。
母親が死んだあと、ビンスワンゲルさんは、もう音楽と小さい天使を見せてやることはできないが、君がいつか孤独な憧れに満ちた心で聴きたいと願えば、また聴くことができる、と言った。

青年は旅立ち、ぜいたくな生活に浸った。
女たちは愛情をこめて彼を取りまき、友人たちは彼に夢中になった。
そしてある時公爵夫人と恋に落ちたが、夫人は夫の元に戻ることを望んだ。


それから彼の幸運は傾きだし、生活は荒れ、受ける資格のない愛に囲まれることに嫌気がさした。
絶望し、毒杯をあおって命を絶とうとした時、ビンスワンゲル老人が訪ねて来た。老人は杯を取り上げて飲み干し、言った。

「君の毒はわしが飲み干してしまった。
お母さんの願いは愚かしいものだったが、わしは叶えてやった。願いは君にとって害になったね・・・」

そして、もうひとつ、生活をよりよく美しくする願いがあったらそれを叶えてあげよう、と言った。


アウグスツスは生活を振り返り、思いをめぐらし、
「ぼくが人々を愛することができるようにしてください!」と願った。
彼が眠りに落ちると、老人は部屋から出て行った。

翌朝からはすべてが逆になっていた。怒った友人たちや女たちがやってきては彼をののしった。警官や弁護士が来て、彼は牢屋に入れられた。
今は憎悪の顔を向ける、かつて彼を愛した人々の中のひとりさえ、彼は愛したことがなかった。

出獄したとき、老いた彼を知る者はなかった。
彼は、何らかの形で人々に役立ち、自分の愛を示すことのできる場所を探すことにきめた。

そして人々が必要とする親切を与え、どんな人の中にも美しいものを見出すようになった。
時が過ぎまた冬が来て、彼がある町の小路に入ると、そこには母の家と名付け親ビンスワンゲルの家があった。
老人が彼を迎え入れた部屋には暖炉の火が燃えていた。

美しい音楽が響き、小さい輝く天使たちが踊っていた。
彼は母に呼ばれたような気がしたが、あまりに疲れていた......

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愛されるより愛することを、という聖フランチェスコの言葉を思い起こさせる。
すべての人がアウグスツスに愛を向けたが、彼はそのうちのひとりの愛も受け取らなかった、つまり愛することができないだけでなく、愛されることもできなかったのだ。

ほんとうに愛することと、ほんとうに愛を受けとること。
この世で真に実現することは多くはないのかもしれないけれど、それらはひとつのことだ。

別の作品の中で、ヘッセは主人公にこう言わせている。
「自分の人生は与えるより受けとることのほうが多かった」
これを読んだ時は、ヘッセ自身がそう感じていたのだという気がした。

見返りなしに愛する時、その人自身が愛で満たされ、その愛が人々を惹きつける。これはもうマザーテレサの領域で、凡人には計り知れないけれど。

「アウグスツス」は1913年に書かれたもので、その翌年に第一次世界大戦がはじまった。この戦争を境にヘッセの作風は大きく変化する。
ところで戦争中、平和主義だったヘッセは軍に目を付けられ、監視され尾行されていたのだが、戦争が終わるまで本人はそのことに気が付いていなかった、という話がある。


物語に戻ると、不思議なビンスワンゲルさんは、アウグスツスが生まれる前から老人で、彼が年老いて郷里に戻ってきた時も昔と変わらない様子で彼を迎えた。

家の中には暖炉の火が燃え、オルゴールの音楽が響き、小さな天使たちが踊っている。
何とも魅力的なこの小さな家は、たとえ人がこの世を生きるうちに忘れ去ったとしても、憧れに満ちて帰りたいと願えば帰り着くことのできる、最も深奥にある魂の故郷のようだ。
  
posted by Sachiko at 21:59 | Comment(2) | ヘルマン・ヘッセ
2024年02月23日

ベアトリーチェ

ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」というアンソロジーをパラパラと見ていたら、見覚えのある文章があった。「外界と内界」という章なのだが、中身は「デミアン」の中の一節だ。

「庭仕事の愉しみ」は、ヘッセの没後30年の1992年に刊行されたものなので、内容は編纂者によって選択されている。
それで久しぶりにデミアンを手に取ってみた。
目に付いたのは「ベアトリーチェ」の章で、主人公の青年が自堕落な生活に陥っていた時、ある日公園で見かけた少女に強く惹かれる。

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私は彼女にベアトリーチェという名前をつけた。
ダンテを読んだことはなかったが、自分のしまっていたイギリスの絵の複製によってベアトリーチェのことを知っていた。
それにはイギリスのラファエル前派の、手足の非常に長くすらりとした、頭が細長く、手や表情が精神化された少女の姿が描かれていた。
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私もダンテは読んだことがなく、ラファエル前派の絵はたぶん、ロセッティの“ベアタ・ベアトリクス”かと思ったが(ベアトリクスはイタリア語ではベアトリーチェ)、手足が長いと書かれているのに、この絵は上半身しか描かれていない。

beatlice.jpg

調べてみたらベアトリーチェを描いた作品は他にも何点かあるけれど、家にあるラファエル前派の画集には載っていなかった。

ダンテは子どもの時にベアトリーチェに出会って強く恋心を抱いたが、ベアトリーチェ本人は若くして亡くなっている。ダンテにとってベアトリーチェは象徴的な崇拝の対象となっていたようだ。

この話はどこか、ノヴァーリスと、彼にとってのマドンナだった15歳で亡くなった恋人ゾフィーの関係を思い出させる。
「デミアン」にはノヴァーリスの名も出てくる。

そして、主人公の青年シンクレールが友人デミアンの母であるエヴァ夫人に抱いた想いにも似ている。

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・・・自分の本性が引きつけられて目ざす対象としているのは彼女その人ではなくて、彼女は私の内心の象徴であるに過ぎず、私をひたすらより深く私自身の内部に導こうとしているのだ・・・
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ところでデミアンの本の中に、古い四つ葉のクローバーが挿まれているのを見つけた。これは憶えている。学生の時、1級下の男の子からもらったものだ。
互いに好意を持っていたことはわかっていたけれど、お付き合いには至らなかった。全くの余談.....
  
posted by Sachiko at 22:25 | Comment(6) | ヘルマン・ヘッセ
2022年07月27日

「我意」

1919年に書かれたヘルマン・ヘッセの「我意(Eigensinn)」は、ヘッセの全作品を貫くエッセンスを、ほんの数ページで語っている。
ヘッセが愛する唯一の徳と呼んだ我意とは何か。

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すべての他の徳、人に好まれ、ほめられる徳は、人間によって定められた法則に対する従順である。ただ一つ我意は、その法則を問題にしないものである。
我意の人は、別の法則に、ただ一つの、絶対に神聖な、自己の中の法則、「自分」の「心」に服従する。

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第一次大戦後の1919年は、あの『デミアン』が書かれた年だ。
『デミアン』は私にとっては特別な一冊で、容易に語ることはできない。
それで、というわけではないけれど、まさにそのエッセンスであるこの掌編に少し触れてみる。

ただ一つの、絶対に神聖な、自己の中の法則に従う....
一般の人間社会ではけっして奨励されず話題にもされないこの徳は、おそらくは孤独な脇道だ。


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「自分の心」は、地上のあらゆるものが持っている。
あらゆる石、あらゆる草、あらゆる花、あらゆる低木、あらゆる動物が、ひたすら「自分の心」に従って成長し、生き、行い、感じている。
世界がよく、豊かで、美しいのは、それにもとづいているのである。

宇宙においてはどんなに微小なものでも、自分の「心」を持ち、自分の法則を抱き、完全にたしかに迷わず自分の法則に従っている・・・・

深く生まれついた自分の心が命じるままに存在し生き死ぬことが許されていないような、哀れなのろわれたものは、地上にはたった二つしか存在しない。
人間と、人間によってならされた家畜だけだ・・・

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ヘッセがこれを書いてから百年以上を経て、時代はますます、あらゆるものが自分自身として存在し、生き死ぬことを許さないように見える。

もしも人間が、草や木や石のようにそれ自身であり、自分が生まれついたところのものを生きるなら、“人生”は本来どんな姿をしていたのだったか。

あのデミアンをエーテルの冷気が取り巻き、彼が星や樹木のように見えたのは、我意の人は、影のようになった今日の人間世界とは別の宇宙に属しているからだ。
  
posted by Sachiko at 22:22 | Comment(2) | ヘルマン・ヘッセ
2022年05月13日

「内と外」

ヘルマン・ヘッセのあまり知られていない短編「内と外(Innen und Aussen)」。

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論理学と科学を愛する主人公フリードリヒは、神秘主義的なものは迷信や魔術と呼んで忌み嫌っていた。
ある日久しぶりに旧友エルヴィーンの家を訪ねると、壁に留められた紙に書かれた言葉が目に入った。

「何ものも外になく、何ものも内になし。外にあるものは内にあればなり。」

これこそフリードリヒが嫌う神秘主義、魔術の世界であり、この旧友とは絶縁するしかないと考え、別れの言葉を告げた。

エルヴィーンは、「これが君の外ではなく内にあるようになったらまたやって来たまえ」と、小さな粘土の像をフリードリヒに渡し、その像がいつまでも外にあり続けたら、その時が別れだと言った。

フリードリヒはその像が気に入らなかった。像の存在はしだいに彼の生活を不快にした。
ある日小旅行から帰って来ると、像がなくなっていた。女中が壊してしまったのだ。
これで落ち着けるだろうと思ったが、今度はそれがないことが彼を悩ませはじめた。

彼は像がないのを苦痛に思い、それを悲しむのは無意味だと明らかにするために、像を詳細に思い浮かべてみた。
そうして眠れなくなった夜、ひとつの言葉が意識に入り込んできた。
「そうだ、今おまえは私の中にいる」という言葉だった。
像はもう外にはなく、内にあった。

彼はエルヴィーンの家に駆けつけた。
「どうしたらあの偶像がまた僕の中から出ていくだろうか。」
エルヴィーンは言った。
「あれを愛することを学びたまえ。あれは君自身なのだ。」

「・・・君は外が内になり得ることを体験した。君は対立の組み合わせの彼岸に達したのだ。

それが魔術なんだ。外と内を、自由に自ら欲して取りかえることが。
君は今日まで君の内心の奴隷だった。その主人になることを学びたまえ。
それが魔術だ。」

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書かれたのは1920年で、第一次大戦後の多産な時期であり、1919年に書かれた『デミアン』にも通じるテーマに見える。

内と外がまるで別物であり、人間は大きな外側の世界に無力な小さな存在として置かれているだけだと考えるようになったのはいつからだろう。

ミヒャエル・エンデは、創世記の「初めに神は天と地をつくられた」という部分を、「初めに神は内と外をつくられた」と訳すべきだったと言っていた。

シュタイナーは、人間は死後、内界と外界が逆転すると言っている。
生前の自分の内面を、外側に拡がる世界として体験するわけだ。
何も外になく、何も内にない.....

内と外が別物だと思っていると、都合の悪いものは外側に投影しやすい。
悪いものは常に外側、他人の側にある・・・ユング的に言えば“シャドウ”だ。
そうして投影した外界も、結局はやがて自分で回収しなければならない。

ヘッセとユングの関係についてはよく知られている。
ヘッセとシュタイナーについては特に文献等で触れられていないけれど、実際にはかなり親しかったそうだ。
   
posted by Sachiko at 22:18 | Comment(4) | ヘルマン・ヘッセ
2019年11月07日

マウルブロン修道院

マウルブロン修道院は、ヘルマン・ヘッセの作品の中でも特に美しく香り高い『ナルチスとゴルトムント』(邦題「知と愛」)の中で、「マリアブロン修道院」という名で登場している。

マウルブロンの神学校は、ヘッセが少年時代に短いあいだ在籍し、逃げ出した場所だ。
神学校時代の苦難は「車輪の下」に描かれている。未来小説である最後の大作「ガラス玉演戯」の舞台も、マウルブロンがモデルのようだ。

ここはぜひ行きたい場所だった。
旅行者がほとんど行かないような町の駅裏のバスターミナルに着くと、ちょうどマウルブロン行のバスが来た。
行先表示板の「Maulbronn」の文字を見て大いに感激したのだった。

田舎道をしばらく走ったあと鐘楼の塔が見えてきたところで降り、湿った落ち葉の匂いがする坂道を下ると修道院があった。

今ではすっかり観光地として賑わっているらしいが、私が行った時はほとんど人がいなかった。しんとした回廊に沿って暗く冷たい石の僧房が並んでいた。

こんな僧房に、若い修道士ナルチスはいたのか....
物語は、少年ゴルトムントが父親の意向で神父になるべく修道院内の学校に編入させられたところから始まる。
だがナルチスは、ゴルトムントの本質が芸術家であると見抜いた。
あらゆる点で対極にある二人の友情は奇妙なものだった。

ナルチスの名言が幾つかある中で、私は特にこれが気に入っていた。

「神に対する愛は、必ずしも善に対する愛と一致しない。
ああ、それほど簡単ならいいんだが!」
(Die Liebe zu Gott, ist nicht immer eins der Liebe zum Guten. Ach, Wenn es so einfach wäre!)

運命に呼び醒まされたように、ゴルトムントが修道院を出ていく夜、長い修行中のナルチスを訪ねる。
それもこのような石の小部屋だったのだろう...と、回廊を歩きながら思った。

ここで感じたものは、晩秋のドイツの暗さと寒さ、中世の石造建築の重さ、そして....前にも書いたことがあっただろうか、時間の重さだ。

何世紀もの時間が層になって覆いかぶさってくるような....
暗い祭壇に灯るたくさんのロウソクの灯りも、空間だけでなく時間をも炙り出しているような気がした。
冬を前にした暗い11月には、時折あのずっしりとした時間を思い出す。

maulbronn.jpg
  
posted by Sachiko at 22:31 | Comment(2) | ヘルマン・ヘッセ