グリム童話『雪白と薔薇紅(Schneeweißchen und Rosenrot)』
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貧しい寡婦が小さな家で暮らしていました。
庭の二本のばらの木には、白い花と紅い花が咲きました。
寡婦にはこのばらのような、雪白とばら紅というふたりの子どもがいました。
ふたりともそれは気だてのよい善良な子どもでしたが、ばら紅は森や野原を駆け回るのが好きなのに対し、雪白のほうは少しおとなしく静かで、家にいてお母さんの手伝いをするのが好きでした。
仲良しのふたりは、よくいっしょに森へ行きました。
森の獣たちがふたりに危害を加えることはありませんでした。
森で夜になってしまったときには、並んで苔の上で眠りましたが、母親はそれを知っていたので心配することはありませんでした。
あるとき森で一夜を過ごし、夜明けに目を覚ますと、輝く白い服を着た美しい子どもが苔の寝床のそばにすわっていました......
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ある冬、熊が家に訪ねてきて子供たちと仲良くなり、春になると森へ出て行った。
夏、娘たちは困った事態に陥っている小人に会い、三度までも助けるが、恩知らずの小人は悪態をつく。
そこにやってきた熊が小人をやっつけると、魔法が解けて熊の毛皮が落ち、美しい王子が現われた。
小人に奪われていた宝も取り戻して、王子は雪白と結婚し、ばら紅は王子の弟と結婚した。
白いばらと紅いばらの美しいイメージ、そしてばらのような二人の少女のようすが可愛らしく、これも子供の頃好きなお話だった。
ここでも、悪い魔法によって動物に姿を変えられた王子が出てくる。
以前「魔法にかけられた王子」という記事で、動物に変えられた姿は、人間が本来あるべき状態にないことを意味しているということを書いた。(ヨハネス・シュナイダー「メルヘンの世界観」より)
そして魔法が解けたときに現れる人間は、王族の姿なのだ。
物語の中で、春になって熊が森に出て行くとき、戸口の鈎に引っかかって毛皮が少し切れる。そのとき雪白には、毛皮の裂け目から金が光ったように見えた。
毛皮が切れて、一瞬金の光が見える。これは何だかとても深い。
獣の姿の奥に、黄金の光を放つものが隠れている。
それを見たのは、内的な心のはたらきを持つ雪白だ。
シュナイダーの「メルヘンの世界観」ではこの物語にも触れられていて、悪い小人は、心の働きから切り離され頭でっかちで利己的な、人間の知性が独り歩きしたときの危険性を表わしているという。
その姿はまさに、現代の人間そのものだ。
知性と心のはたらきの結婚によって、統合された本来の人間性が現われる。この一見可愛らしい物語が、実は壮大な宇宙的人類史の行方を示唆していたのだとしたら、やはりメルヒェンは侮れない。
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《雪白と薔薇紅》
https://fairyhillart.net/grimm1.html
posted by Sachiko at 21:57
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メルヒェン