2026年05月19日

「コーンウォール 妖精とアーサー王伝説の国」

「コーンウォール 妖精とアーサー王伝説の国」(井村君江 著)

サブタイトルに釣られて買ってしまったが、ページ数の割には妖精とアーサー王の話はそう多くなかった。

妖精についての幾つかの伝説が紹介されている。
若い娘が終えられなかった麦打ちの仕事を、夜のあいだに妖精が片付けてくれるという話は、類話がヨーロッパ各地にある。
娘がその小さな裸の妖精に服を作ってやると、妖精は喜んで出て行き、二度と納屋に戻ってこなかった。
妖精に着るものを与える話はハリーポッターの中にもあった気がするが、このことにも何か古い意味があるのだろう。

人間が妖精と結婚して妖精界で暮らした話は、たいてい悲劇で終わるようで、興味深い記述がある。

「妖精の国へ行って帰ってきた人間は、ほとんど気がふれるか、この世への興味を失って生きる気力がなくなり、早死にする」

妖精の国に関する話は、以前紹介したアイルランドの妖精譚に書かれていたことと重なる。
・妖精たちの食べものや飲み物を口にしたり花を摘んだりすると、もう人間界には戻れない。
・人間が妖精に連れて行かれると、後には偽の死体が置かれる。これは人間の赤ん坊が盗まれ、後に妖精を残す取換え子(チェンジリング)と似ている。

「妖精は星を崇拝する拝星徒である」という話について井村氏は、昼間の太陽、夜の月に支配される太陽系の地球に住む世界とは異なり、妖精が星の支配する別次元の世界の住人であるという意味ではないか、と語っている。

この世への興味がいささか薄い私は、いつかどこかでうっかり妖精の国の何かに触れてしまったことでもあっただろうか、という気がしないでもない。
アーサー王伝説の話はまた次回。
  
posted by Sachiko at 22:34 | Comment(0) | 神話・伝説・民話
2026年04月29日

コーンウォール語

ケルトの物語の本を読んでいたら、コーンウォール語という言葉が出て来た。古い時代、ブリテン島にはゲール語やスコットランド語、ウェールズ語があったことは知っていたが、コーンウォール語は聞いたことがなかった。

イギリス南西部のコーンウォール地方には、かつてコーンウォール人という民族がいて、英語とは違うケルト系の言語を話していたそうだ。

ざっくり言えば、ドイツのザクセン人がブリテン島に渡ってサクソン人になった。ゲルマン系言語の英語は、元々はイングランドでしか使われていない言葉だった。

それが勢力を広げ、ケルト系言語を駆逐し、今や世界を席巻している。
このようにして消えてしまった小さな民族や言語は数多い。

一方コーンウォールといえば、アーサー王伝説のふるさとだ。
アーサー王は実在した王だったと言われているけれど、その実像はよくわかっていない。

小さなコーンウォールから、あの心躍るアーサー王物語がどのようにして生まれたのだろう。
少し調べようとしたら、こんな本が見つかった。
『コーンウォール −妖精とアーサー王伝説の国−』(井村君江)

妖精とアーサー王伝説!このサブタイトルは誘惑が大きすぎる♪
しかも著者は、妖精研究の第一人者井村君江さんだ。
あっさり誘惑に負けて、速攻古本で手に入れた(1997年刊の本)。

まだ読んでいないので、続きはまた後日...
  
posted by Sachiko at 23:07 | Comment(0) | 神話・伝説・民話
2026年04月11日

ゴールドベリの歌

ずいぶん昔に買ったままほとんど読んでいなかった『トールキン小品集』の中にある、詩で綴られた「トム・ボンバディルの冒険」を読んでみた。

指輪物語でフロドたちが旅に出て間もない頃、古森のトム・ボンバディルの家に立ち寄る。そこでいっしょに暮している川の娘ゴールドベリという存在のことが気になっていた。
長い詩の中で、そのゴールドベリのことが書かれている。(この本ではゴールドベリーと表記されている)

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       ・
       ・
  長いひげを川面にたらせば

  川の精の娘ゴールドベリーが顔を出し

  トムのひげをぐいとつかむ。どぼんと落ちた睡蓮の下
       ・
       ・      
  ある日 ついに川の娘をつかまえた。

  緑のガウンをまとい 髪をなびかせ 藺草のなかにすわり

  繁みに住む鳥に川の歌を教えていた少女を。

  
  トムは娘をつかまえた。川ねずみが走りまわり

  蘆はざわめき あおさぎは声をあげ 娘の心は高鳴った。

  トム・ボンバディルは叫んだ。「可愛い娘さん。

  さあ、いっしょに行こう。食卓にはごちそうがいっぱい。
       ・
       ・
  トムが挙げた陽気な結婚式

  羽根つき帽子をぬぎすてて きんぽうげが冠

  花嫁は銀糸織りの緑衣で装い

  頭の冠は わすれなぐさとゆり。トムは提琴にあわせて

  むくどりのように声を張りあげ 蜜蜂のように声をおとし

  水の精のやさしい胸を抱きしめる
       ・
       ・
  「可愛い人 来てごらん らんらんらららら」

  戸口にすわったトムが柳の小枝をぽきんと折れば

  ゴールドベリーは黄色く光る髪を梳くのだった。

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ゴールドベリは、川の精の娘だった。
「水底の 母さんのところに帰っていった」という記述がある。
娘がトム・ボンバディルと結婚したことを、川の精は嘆いていたようだ。

トム・ボンバディルが何者なのかは、指輪物語の本編でもあまり詳しくは語られていない。
『トールキン小品集』の訳者あとがきによれば、トム・ボンバディルは神でも人間でも自然の精でもなく、神と人間、自然と文化、秩序と混沌のいずれにも自由に出入りし、地上の善悪の倫理をこえる完全に自由な者、生命全体を支配する自律的な存在、と解釈されている。

トールキン自身はどう考えていたのか、他の本に何か書かれているかもしれないと思い、指輪物語の姉妹編である『シルマリルの物語』と『終わらざりし物語』の索引を見て見たが、そこにはトム・ボンバディルの名前もゴールドベリの名前もなかった。

「とっつぁん」(サムの父ハムファスト・ギャムジー)は書かれているのになぜだ!と思ったが、物語全体にはあまり関わりがないからだろうか。
ガンダルフも、トムは指輪の旅などに興味がないというようなことを言っていた。

自然神パンのイメージに似ている気もするけれど、見た目は羽根つき帽子をかぶったずんぐりしたおじさんの姿をしている。
それともたまたまその姿が気に入っているだけで、ほんとうはどんな姿をとることもできるのではないか、とも思う。
  
posted by Sachiko at 23:06 | Comment(0) | ファンタジー
2026年03月23日

ユキノハナ

今年もスノードロップが咲き始めた。
和名はマツユキソウだが、そういえばユキノハナという呼び方もあったような...
調べてみたらオオユキノハナという名が出てきた。オオユキノハナがあるなら普通のユキノハナもあるはずだ。

エルウェシーという名で栽培されているジャイアント・スノードロップが“オオユキノハナ”で、コモン・スノードロップが“ユキノハナ”だそうだ。

snowdrop26.jpg

うちのはエルウェシーのはずだけれど小さい。環境にもよるのだろう。
ともかく、毎年春いちばんに雪の中から姿を見せてくれる嬉しい花だ。
スノードロップが帰ってきた、また新しい春が来たんだ!と。

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『Snowdrop Path』 https://fairyhillart.net/gallery1.html

snowdroppath.jpg
 
posted by Sachiko at 15:55 | Comment(0) | 自然
2026年03月09日

喜びは源泉

久しぶりにフィンドホーンの話。
フィンドホーン発信の毎月のメッセージの中にこれがあった。

『喜びは結果ではなく、源泉』

おぉ...
何か気に入るものが手に入った結果として喜ぶのではなく、喜びは源泉として、無条件にすでにそこにある。何が起きても起きなくても。

実はあのコロナ騒動とロックダウンの影響で、その後のフィンドホーンは激震に見舞われていた。多くの話し合いが重ねられ、多くを失い、再構築が模索された。
私たちが滞在したクルーニーの館も人手に渡ってしまった。


フィンドホーンのシンボルは不死鳥なのだから、きっと新しい形で蘇るだろうと思っていた。

そうしてやってきたメッセージは深い。
喜びを感じるために、外側にあれこれを探し求め、手に入れようとする必要はなかった。
ひとりひとりのハートの奥深くに、尽きない源泉がある。それは私たち自身の共通の本質なのだ。


クルーニー館が人手に渡ったのは初めてではなく、創設期に一度起こったことがある。
当時創設メンバーが受け取ったガイダンスでは、「クルーニーはいつか戻って来る」と告げられ、やがてそのとおりになった。

ふたたび手放したクルーニーが戻って来ることがあるかどうかはわからないけれど、あの場所を懐かしく思う世界中の人々の想いが、何らかのはたらきをするのではないか、とも思う。
戻っても戻らなくても、クルーニーに満ちていた喜びは、源泉として永遠にあることだろう。
 
posted by Sachiko at 22:40 | Comment(0) | フィンドホーン
2026年02月21日

木に会いに行く

あるところでこんな話を聞いた。
自然界で絶滅した生きものたちは、物質界からはいなくなったように見えるけれど、別の次元には存在し、生きている。

時間は直線ではなく多重に折り重なり、過去に伐られた木も、物質としての体を失ったけれどまだそこにいる....
それなら、子供の頃にいつもその下で遊んだ木に会いに行くことはできるだろうか。

目を閉じて木の姿を思い出し、「私のこと、憶えてる?」と木に尋ねようとしたとき、出てきた言葉は「私を憶えていてくれてありがとう」だった。

木に触れてみた。粗い木肌のざらざらした感触、樹液が沁み出ていた箇所も、あの頃と同じだ。
子どもの目には大木に見えていたけれど、今見る木はやはりイメージより少し細く小さかった。

その木の姿と、周りの景色も鮮明に思い出された。
木のそばには柾屋根の小さな物置小屋と、もう一本細い小さな木が立っていた。
小さな木の根元にはアリの巣があり、たくさんの小さい赤アリが絶えず木に登ったり下りたりしていて、子どもたちは「アリの木」と呼んでいた。

とっくの昔になくなってしまったそれらが、今も別次元で生きている...
ナルニア国物語の中に似た話があった。

「ほんとうのナルニア」では、そこに意識を向けると、とっくに取り壊されたはずの屋敷をはっきりと近くに見ることができたのだ。
そして内側の世界では、よいものが滅びることはないという。

内側では、目に見える外界とは時間や空間の在り方も異なる。
よいもの美しいものに、そこではいつでも会えるのなら素敵だ....意識を向けさえすれば。
 
posted by Sachiko at 21:13 | Comment(0) | 未分類