『銀河鉄道の夜』は宮澤賢治本人によって何度か改稿されていて、今出回っている本の多くは第四次稿だ。
ブルカニロ博士は、そのひとつ前の第三次稿にだけ登場するらしい。
私の手元には『銀河鉄道の夜』が収録された本が三冊あり、その中の、高校生の時に買った一番古い本に第三次稿が入っている。
「カムパネルラ、ぼくたちいっしょに行こうねえ。」
ジョバンニがそう言って振り返ると、もうカムパネルラの姿はなく、ジョバンニははげしく泣きだす。
-----------------
もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。
ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。
------------------
第四次稿でこのように書かれている二行のあいだに、古い稿ではブルカニロ博士との対話が入る。
------------------
「おまえはいったい何を泣いているの。ちょっとこっちをごらん。」いままでたびたび聞こえた、あのやさしいセロのような声が、ジョバンニのうしろから聞こえました....
------------------
セロのような声が最初に登場するのは、『銀河ステーション』の章だ。
------------------
「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが言いました。
するとちょうど、それに返事をするように、どこか遠くの遠くのもやのもやの中から、セロのようなごうごうした声が聞こえてきました。
「ここの汽車は、スティームや電気でうごいていない。ただうごくようにきまっているからうごいているのだ。ごとごと音をたてていると、そうおまえたちは思っているけれども、それはいままで音を立てる汽車にばかりなれているためなのだ。」
「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた。」
「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。」
------------------
銀河鉄道は何らかの動力ではなく「ただうごくようにきまっているから」、つまり宇宙の摂理のようなもので動いている。
そしてこのセロのような声を、ジョバンニもカムパネルラも、銀河鉄道に乗るまえに、何度も聞いているらしい。
しかも、林の中や川という少年たちの日常の景色の中で、セロのような声が響いていたという、なんとも不思議な話だ。
その声が、カムパネルラを見失ったあとのジョバンニにまた語りかけてくる。
------------------
さっきまでカムパネルラがすわっていた席に黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせたおとなが、やさしくわらって大きな一冊の本をもっていました。
「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
------------------
今度は声だけでなく、姿かたちのある人物が現われる。
その人はジョバンニのこともカムパネルラのこともよく知っているようなのだ。
このあと、その人はほんとうの幸福について、そして長い時を超えた地理や歴史について語り始める。
それは地球の時空を上から眺めているかのような深い印象を受ける話なのだけれど、この部分についてはまた次回に。
2025年10月17日
ブルカニロ博士・1
posted by Sachiko at 22:23
| Comment(0)
| 宮澤賢治
2025年10月04日
「兄と妹」
グリム童話『兄と妹』(Brüderchen und Schwesterchen)
日本では兄と妹と訳されているけれど、どちらが年上なのかは明記されていないので、海外の絵本や演劇では「姉と弟」という描写になっていることもある。
きょうだいのどちらが年上なのか定かではないというのは、日本人の感覚としてはどうもモヤモヤする。
------------------
「お母さんが亡くなってから、僕たちはちっとも幸せじゃないね」
兄は妹の手をとって言いました。
二人は継母につらく当たられ、ろくに食べるものももらえなかったのです。
二人は家を出て歩きつづけました。兄はのどがかわいてたまらず、泉をさがしました。しかし悪い継母は魔女で、子どもたちの後をつけ、泉に魔法をかけていたのでした。
妹には、その水を飲むと獣になってしまうという泉のささやく声が聞こえたので、兄を止めました。
三つ目の泉に来たとき、妹は「私の水を飲む者はシカになる」という声を聞き「お兄ちゃん、飲まないで。さもないとシカになって逃げてしまうわ」と言いましたが、兄は聞かずに水に口をつけたとたん、子鹿の姿になっていました。
妹はシカを連れて森の奥へ進み、空家をみつけてしばらくそこで暮らしました。
あるときこの国の王さまがこの森で大がかりな狩りを催しました・・・・
------------------
この物語には典型的なメルヒェンの要素がいっぱい詰まっている。
悪い魔女と子どもたちの受難、魔法で動物の姿に変えられること、王さまが現れて娘と結婚、魔女の娘が偽のお妃になりすます、“三度”の繰り返し、やがて真実が明らかになり魔女は罰を受けて死に、魔法が解ける.....
王さまがやって来た時、妹は結婚できる年齢になっている。兄妹はどのくらいのあいだ森で暮らしていたのか...などと考えるのは野暮というもの。
メルヒェンの時間はこの世の時計では計れない。そこには別次元の基準がある。
メルヒェンのヒロインも、王様や王子様も、この世の人間ではなく、宇宙の基準に従う深い魂のエレメントで、ゆえに時代や民族を超えた普遍性を持つ・・・などという解釈もまた野暮だろう。
ただこの彩り豊かなメルヒェンを楽しもう。
--------------------------------
『兄と妹』 https://fairyhillart.net/grimm1.html

日本では兄と妹と訳されているけれど、どちらが年上なのかは明記されていないので、海外の絵本や演劇では「姉と弟」という描写になっていることもある。
きょうだいのどちらが年上なのか定かではないというのは、日本人の感覚としてはどうもモヤモヤする。
------------------
「お母さんが亡くなってから、僕たちはちっとも幸せじゃないね」
兄は妹の手をとって言いました。
二人は継母につらく当たられ、ろくに食べるものももらえなかったのです。
二人は家を出て歩きつづけました。兄はのどがかわいてたまらず、泉をさがしました。しかし悪い継母は魔女で、子どもたちの後をつけ、泉に魔法をかけていたのでした。
妹には、その水を飲むと獣になってしまうという泉のささやく声が聞こえたので、兄を止めました。
三つ目の泉に来たとき、妹は「私の水を飲む者はシカになる」という声を聞き「お兄ちゃん、飲まないで。さもないとシカになって逃げてしまうわ」と言いましたが、兄は聞かずに水に口をつけたとたん、子鹿の姿になっていました。
妹はシカを連れて森の奥へ進み、空家をみつけてしばらくそこで暮らしました。
あるときこの国の王さまがこの森で大がかりな狩りを催しました・・・・
------------------
この物語には典型的なメルヒェンの要素がいっぱい詰まっている。
悪い魔女と子どもたちの受難、魔法で動物の姿に変えられること、王さまが現れて娘と結婚、魔女の娘が偽のお妃になりすます、“三度”の繰り返し、やがて真実が明らかになり魔女は罰を受けて死に、魔法が解ける.....
王さまがやって来た時、妹は結婚できる年齢になっている。兄妹はどのくらいのあいだ森で暮らしていたのか...などと考えるのは野暮というもの。
メルヒェンの時間はこの世の時計では計れない。そこには別次元の基準がある。
メルヒェンのヒロインも、王様や王子様も、この世の人間ではなく、宇宙の基準に従う深い魂のエレメントで、ゆえに時代や民族を超えた普遍性を持つ・・・などという解釈もまた野暮だろう。
ただこの彩り豊かなメルヒェンを楽しもう。
--------------------------------
『兄と妹』 https://fairyhillart.net/grimm1.html
posted by Sachiko at 22:23
| Comment(2)
| メルヒェン
2025年09月11日
アザミの冠毛
しばらく前からフワフワした綿毛のようなものが舞っていた。
ポプラの綿毛の季節はとっくに過ぎているし、何だろうと思っていたら、近くに生えているアザミの花が終わって白い綿毛になっているのが風でほぐれて飛んで行くのを見た。

どこもかしこもトゲだらけのアザミだけれど、この冠毛は柔らかい。
アザミの冠毛といえば、こんなお話を思い出す。
『ノーム』の本の中に、ノームの妻はアザミの冠毛を梳いて繊維にして毛糸を作ると書かれている。


ノームたちは自然と一体で、植物と親しく、互いに持てるものを分かちあう。アザミの冠毛の話も、そんな優しいつながりのひとつだ。
春はタンポポ、初夏はポプラ、初秋にアザミの冠毛が風に舞う。
そうして、冬には雪.....
もうすぐ、一気に気温が下がってきそうだ。
ポプラの綿毛の季節はとっくに過ぎているし、何だろうと思っていたら、近くに生えているアザミの花が終わって白い綿毛になっているのが風でほぐれて飛んで行くのを見た。
どこもかしこもトゲだらけのアザミだけれど、この冠毛は柔らかい。
アザミの冠毛といえば、こんなお話を思い出す。
『ノーム』の本の中に、ノームの妻はアザミの冠毛を梳いて繊維にして毛糸を作ると書かれている。
ノームたちは自然と一体で、植物と親しく、互いに持てるものを分かちあう。アザミの冠毛の話も、そんな優しいつながりのひとつだ。
春はタンポポ、初夏はポプラ、初秋にアザミの冠毛が風に舞う。
そうして、冬には雪.....
もうすぐ、一気に気温が下がってきそうだ。
posted by Sachiko at 22:02
| Comment(2)
| 自然
2025年08月24日
ケンタウル祭
『銀河鉄道の夜』に出てくるケンタウル祭というのはいつなのだろう。
イメージとしては夏の終わりから秋の初め頃だ。
学校が始まっているけれど、川遊びもできるのだからまだ寒くはない、9月初旬だろうか。
銀河鉄道の旅では「りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ」というカムパネルラの言葉が出てくるので、9月中旬くらいかもしれない。
---------------
子どもらは、みんな新しい折のついた着物を着て、星めぐりの口笛を吹いたり、「ケンタウルス、露を降らせ」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したりして、たのしそうに遊んでいるのでした。
---------------------
ケンタウルス座は南半球の大きな星座で、場所にもよるが日本からは一部しか見えない。
南十字星の上にあるのだが、その南十字も、日本では沖縄の最南端の島にでも行かなければ見えない。
物語には、サウザンクロスの駅が出てくる。そこは天上へ行く通路らしかった。
たくさんの人がここで降りてしまい、汽車はがらんとして寂しくなった。
天上へ行く場所ですら、この銀河鉄道の終着駅ではないらしい。
カムパネルラはなぜここでは降りなかったのだろう、そしてどこへ行くのだろう。
「・・・あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ」
カムパネルラは遠くのきれいな野原を指して叫んだ。
その場所は、ジョバンニには見えなかった.....
---------------------
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニがこう云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかり光っていました。
---------------------
ジョバンニは、みんなのほんとうのさいわいをさがすために僕たちどこまでも一緒に進んで行こう、と言った。
そして「ああきっと行くよ」と答えたカムパネルラは、いなくなってしまった。
この孤独と喪失。はげしく泣きだしたところで、ジョバンニは元の丘の草地で目を覚ます。
銀河のお祭りらしいケンタウル祭がどんなお祭りなのかは最後までどうもよくわからない。アスパラガスの葉で飾られた星座早見盤やカラスウリの明かりなどが、不思議な詩情を醸し出している。
『銀河鉄道の夜』は何度も改稿されていて、ジョバンニがカムパネルラを見失ってから草地で目を覚ますまでのあいだに、ブルカニロ博士という人物との会話が入っている稿と、入っていない稿がある。
私が持っている一番古い本では入っている。この部分は味わい深くて好きなのだけれど、長くなるのでこのあたりの話はまた別の機会に。
イメージとしては夏の終わりから秋の初め頃だ。
学校が始まっているけれど、川遊びもできるのだからまだ寒くはない、9月初旬だろうか。
銀河鉄道の旅では「りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ」というカムパネルラの言葉が出てくるので、9月中旬くらいかもしれない。
---------------
子どもらは、みんな新しい折のついた着物を着て、星めぐりの口笛を吹いたり、「ケンタウルス、露を降らせ」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したりして、たのしそうに遊んでいるのでした。
---------------------
ケンタウルス座は南半球の大きな星座で、場所にもよるが日本からは一部しか見えない。
南十字星の上にあるのだが、その南十字も、日本では沖縄の最南端の島にでも行かなければ見えない。
物語には、サウザンクロスの駅が出てくる。そこは天上へ行く通路らしかった。
たくさんの人がここで降りてしまい、汽車はがらんとして寂しくなった。
天上へ行く場所ですら、この銀河鉄道の終着駅ではないらしい。
カムパネルラはなぜここでは降りなかったのだろう、そしてどこへ行くのだろう。
「・・・あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ」
カムパネルラは遠くのきれいな野原を指して叫んだ。
その場所は、ジョバンニには見えなかった.....
---------------------
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニがこう云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかり光っていました。
---------------------
ジョバンニは、みんなのほんとうのさいわいをさがすために僕たちどこまでも一緒に進んで行こう、と言った。
そして「ああきっと行くよ」と答えたカムパネルラは、いなくなってしまった。
この孤独と喪失。はげしく泣きだしたところで、ジョバンニは元の丘の草地で目を覚ます。
銀河のお祭りらしいケンタウル祭がどんなお祭りなのかは最後までどうもよくわからない。アスパラガスの葉で飾られた星座早見盤やカラスウリの明かりなどが、不思議な詩情を醸し出している。
『銀河鉄道の夜』は何度も改稿されていて、ジョバンニがカムパネルラを見失ってから草地で目を覚ますまでのあいだに、ブルカニロ博士という人物との会話が入っている稿と、入っていない稿がある。
私が持っている一番古い本では入っている。この部分は味わい深くて好きなのだけれど、長くなるのでこのあたりの話はまた別の機会に。
posted by Sachiko at 21:57
| Comment(2)
| 宮澤賢治
2025年08月06日
東山魁夷の水鏡
独特の青緑色と並んで、東山魁夷の絵には水に映った風景が多い。

風景が、水面に逆さに映っている。
ただそれだけで、しん...と吸い込まれるような、深い不思議な気分が満ちる。

水に映った景色は、内面の象徴だそうだ。
水面を覗き込むと、外界では遥かに見上げる空が、深く見下ろす彼方にある。木も建物も、すべてが逆さま.....
東山魁夷の水鏡は、見る人を自身の内側に誘う。
見知っている風景も水に映ると、見慣れないもののように別の姿を見せる。
そのように、知っていると思っている自分自身の、まだ知らない内側をのぞき込むように魂の鏡の淵に立つとき、深い水底に何を見出すだろうか.....


風景が、水面に逆さに映っている。
ただそれだけで、しん...と吸い込まれるような、深い不思議な気分が満ちる。
水に映った景色は、内面の象徴だそうだ。
水面を覗き込むと、外界では遥かに見上げる空が、深く見下ろす彼方にある。木も建物も、すべてが逆さま.....
東山魁夷の水鏡は、見る人を自身の内側に誘う。
見知っている風景も水に映ると、見慣れないもののように別の姿を見せる。
そのように、知っていると思っている自分自身の、まだ知らない内側をのぞき込むように魂の鏡の淵に立つとき、深い水底に何を見出すだろうか.....
posted by Sachiko at 22:15
| Comment(0)
| アート
2025年07月25日
ウラギンヒョウモン
今年初めてやってきた、ウラギンヒョウモン。
特別珍しい種類ではないけれど、個体数はそう多くないそうだ。


以前来ていた絶滅危惧のウラギンスジヒョウモンは、2年ほど見かけていない。ヒョウモンの仲間は、後翅の裏側の模様をよく見なければ種類がわかりにくい。
本州では高地にしか生息していないのに北海道では平地でも見られるという蝶は多い。
でもここ数年、とくに今年の暑さでは、それらの蝶もやがて山の上に生息地を移してしまうのではないか、うちの小さな庭にはいつまで来てくれるだろうか...と思う。
庭に来る昆虫や、夏の花、種から育てて実をつけてきた夏野菜。夜明けに聞こえるシジュウカラの声。
巷に溢れる情報の喧噪はもういい。自分の感覚で感じることのできる、こういう小さなリアルを大切に暮らしたいと思う。
特別珍しい種類ではないけれど、個体数はそう多くないそうだ。
以前来ていた絶滅危惧のウラギンスジヒョウモンは、2年ほど見かけていない。ヒョウモンの仲間は、後翅の裏側の模様をよく見なければ種類がわかりにくい。
本州では高地にしか生息していないのに北海道では平地でも見られるという蝶は多い。
でもここ数年、とくに今年の暑さでは、それらの蝶もやがて山の上に生息地を移してしまうのではないか、うちの小さな庭にはいつまで来てくれるだろうか...と思う。
庭に来る昆虫や、夏の花、種から育てて実をつけてきた夏野菜。夜明けに聞こえるシジュウカラの声。
巷に溢れる情報の喧噪はもういい。自分の感覚で感じることのできる、こういう小さなリアルを大切に暮らしたいと思う。
posted by Sachiko at 16:24
| Comment(2)
| 自然